生き地獄

生き地獄

生き地獄

2019年に東京の池袋で、母子2人が死亡したのを含め11人が重軽傷を負った乗用車暴走事故の被告人質問が、東京地裁で行われた。

飯塚被告は被告人質問に対して「アクセルは踏んでいない」と過失を否定。

一方で「事故時はパニックになった」と述べている。

 

「アクセルペダルを踏んでいないのにエンジンが高速回転を始めた」

「視線を落としてアクセルペダルを見ると、床に張り付いた様子だった」

「ブレーキを踏んでも減速せず、抜けたような感じがした」

 

これだけの事故を起こしてしまっては、確かに当時の記憶に曖昧さが生じてしまうことは一定の理解はできる。

が、起こしてしまった言い訳よりも、とにかく亡くなった方々や怪我を負った方々に対してや、その遺族や家族の方々に対して、誠心誠意に謝罪をし続けることが最重要だろう。

どんな言い訳をしても、己が起こしたことになんの間違いはないからだ。

 

そもそもが、その言い訳に信憑性が一切無い。

警察や自動車メーカーによる検証結果でも「車の異常」は見受けられなかったとされている。

この検証結果が嘘っぱちや、でっち上げと到底思えないのは、日本の自動車の精度や安全性、警察の自動車事故捜査の信頼性は、相当に高いと裏打ちされているからだ。

しかしこの期に及んで、言葉は適切ではないと思うが、こんな「とボケた言い訳」をされた日には、遺族の方々にとって二重苦三重苦の何ものでもない。

 

奥さんと幼い娘を亡くされた方は、あの日以来、常に生き地獄を味わっている。

もしも自分がその立場だったら、自分が一体なんの為に生きているのかすら分からず、ただただ失望と絶望、憤怒と殺意との葛藤の日々を送っているに違いない。

 

そう思ったのと同時に、車のハンドルを握る立場として、あらゆる命の責任を背負っているのだと、一層に自分の肝に銘じさせた。