地獄の沙汰も金次第

地獄の沙汰も金次第

地獄の沙汰も金次第

先月、米経済誌が、2021年版の世界長者番付が発表された。

1位は大手ネット通販会社のアマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏で、4年連続首位で資産総額は19兆4000億円!!!

2位は米電気自動車メーカー、ステラ社の最高経営責任者イーロン・マスク氏と続くが、もう19兆と聞いても一般人の私にはピンと来ない天文学的数字の金額。

 

それだけの資産を手にしたら、私ならもう一切仕事なんてせず、のんびりと何もしないで暮らしていくに違いない。

そんな考え方だから、お金も私の所には寄ってきてくれないのだろうが。

個人として大金を手にすれば、何か世の中すべて自分の物になるような、そんな錯覚すら抱いてしまうのか。

あらゆる人間よりも、自分は優れているとか浮かれ飛んでしまうのか。

まぁ私が大金持ちになるなど、天地が裂けても有り得ないことなので無駄な空想に終わるが。

 

と、思った時に頭をよぎった言葉があった。

「地獄の沙汰も金次第」である。

仮に、悪行を重ねた結果この世で財を成し、大成功を納めて人生を終えた後、あの世に行っても大枚をはたいて閻魔様を買収し、悪事を裁かれること無く天国に行くことができるのだろうか。

この世は地獄だと思っている私には、通用しない言葉ではあるが。

お金があれば世の中すべて自分の思い通りになるといった、お金が持つ強力な力を表現した言葉であるが、あまり良い言葉の部類ではない。

 

古来から日本では、死して最初に「三途の川」を渡ってこの世からあの世へ向かうとされている。

諸説あるが、その時に掛かる橋渡し料として、六文銭を支払わなければならないとし、それように棺桶に小銭を持たせ埋葬された。

あの世に行ってもお金の価値観に振り回されることになるのか。

それを言ったら古来、お金という価値観もない時代で生きてきた多くの方々は、死後どうしていたのだろう、という謎が生まれる。

こればかりは死んでみなければ分からないが、この世で得た「物」に関しては、この世でしか使えない物であるような、そんな気がします。

 

「お金はあの世には持って行けない」

そう思わないと、人生そのものが虚しくなりそうな、そんなお金に振り回されている世の中である。

いや、それにしても羨ましい。