とある教師の死
- 2021.05.28
- 小説
僕はあのときが、身内ではない人の、身近な存在の人の死というものを、初めて実感した瞬間だったのかも知れない。
体育館で、僕らの腰を置く冷めたい床の感覚よりも、同学年たちのすすり泣く声が反響している空間の、この乾いた空気の方が、よほど心底に冷たく感じたことは、今このときまで僕には経験が無かった。
僕にとって最低最悪な学校のイベントは、マラソン大会だった。
これだけは本当に嫌いだった。
いかにして公然とサボれるか。
膝の成長痛を言い訳に病院を受診するも、「この程度ならマラソン大会は大丈夫だよ」と、医者に不本意な太鼓判を押された僕の心は、マラソン大会の出場決定への嫌気と、医者にこちらの思惑を見透かされた恥ずかしさで、やりきれない心持ちになった。
土曜日の午前中、学校の近くにある大きな都立公園が、マラソン大会の舞台である。
所々、紅く染まり始めている葉が目立つ木々のトンネル内を、バタバタと生徒らが駆け抜けて行くが、僕の身体は、この年も想像以上にしんどくなっていた。
小学生時代の無尽蔵だった体力とは真逆で、中学二年生の僕は成長期にて、身体も肥え、帰宅部だったことも拍車を掛け、開始早々に首が上がっていた。
僕はこの日だけ限定、今度こそ運動をして身体を鍛えよう、と心に誓う日はなかった。
それは単に、今の自分が息苦しんでいる限界の荒波と、この苦悶に抗う術も無い己を悔いているだけで無い。
そんな僕を置き去りにし、もう僕の視界には存在せず、はるか先頭集団で先頭争いをする、颯爽と駆け抜けて行く野球部やサッカー部の同級生。それを憧れの眼差しの花びらをまき散らしながら追走する女子生徒らの視線に対する、いわば嫉妬心から来る後悔の念が、それの根底にあった。
が、実際は、大会が終わって家に帰ると、直ぐ忘れてしまうような、苦し紛れの一時的な気の迷いのようなものだったのだが。
本来、マラソン大会が終われば現地にて即解散、となるはずだったが、閉会式の終了間近に各組の担任教師の数名が、なんとなく慌しくなったのを記憶している。
と同時に僕は、一学年六クラスの担任の先生の内、隣の五組を担当する女性教師が居ないことに気が付いた。
「二年生は全員、体育館に集合!!いいな!!」
風貌がまるで暴力団の構成員のような、一組担任の国語教師(実際に酷い暴力教師である)が、両手をポケットにしまい、大きい腹を突き出しながら、がなっていた。
この都立公園から中学校までは歩いて十分程度だったが、その中間点あたりに僕の家があった。
マラソン大会を終えてクタクタな身体には、自宅を一旦通り越してから学校へ行き、そのあとまた自宅に戻るという面倒な往復が、余計に二重三重と、僕の突っ張った足を重くしていた。
そんな僕の近くを併歩する同級生たちは、「なぜ二年生だけが体育館へ集められるのか」と、喧々と各々の予想を組み立てていた。
誰かが喧嘩や煙草、飲酒かシンナーでもやり、警察の厄介になったのか。
いや、それなら全校生徒の前で話をするだろう。
不純異性交遊、これは案外闇に葬られるか・・・。
何も心当たりの無い生徒からすれば、いくらでもいい加減な空想を交えた憶測をかき立てることができる。
一方、いわゆる「不良」と分類されている生徒らに、普段の威勢はどこにも無くなっていたのは、客観的に見て面白かった。
このときは、前向きな出来事であろうと予測していた生徒は、たぶん一人も居なかったと思う。
どうせろくでもないことだろうと、みんな胸の内々をざわつかせていたに違いない。
当然に、僕もその内の一人だった。
体育館へ集まり、各組ごとに縦六列で整列し、床に座らせられると間もなく、演台に校長先生がやってきた。
ここでの意外な登場人物に、一瞬で体育館内がシンとした。
初老の校長先生は、普段の月曜朝礼で見せる柔和な表情とは明らかに違う、際立った緊張感が滲み出ており、健康的な、いつもの顔のテカりも少なかったように覚えている。
「え~、皆さんには大変つらい報告があります。昨日、五組の担任の○○先生が心臓発作でお亡くなりになりました」
僕は背中がゾワッとし、身体が宙に浮いた錯覚がした。
「えーーー!!」と大きな声を出したのは、普段から目立ちたがり屋でお調子者の、とある男子生徒だった。
隣列の五組の生徒たちの、特に女子生徒の数名は、両手で顔を覆い肩を震わせている子や、耐え切れずに、後ろの女子生徒と抱き合って、平常心を取り戻そうとしている子も居れば、いつも物静かで存在感の無い一人の男子生徒は、口を大きく開いたまま戦慄していた。
亡くなった女性教師は三十代半ばくらいであり、夫と小さな子供との三人家族だったらしい。
隣のクラスだった僕の女性教師への印象は、細身だが背の高くて、女性教師独特の母親くさい眼差しを持っていた程度の先生、としか僕には残っていなかった。
しかし思い返してみれば、鎌倉遠足のときに、どこかの寺の門前で、僕が居るグループの生徒数名と一緒にカメラマンに撮ってもらった写真が、確かどこかに残っているはずである。
が、どうしてそのとき、他のクラスの生徒だった僕らと一緒に写真に映ってくれたのか。
時の記念か、気まぐれか、遠足による高揚感が彼女をそうさせたのか、その真意は分かりようもないが。
この最中、僕の両方の二の腕が震えていたのは、体育館の冷たい空気によって、汗が冷やされたからではなく、明らかに動揺によるものだったと、そのときは判別できていなかった。
生徒は各教室に戻され、担任の先生が来るのを待っていたが、静まり返る教室内に、廊下から隣の五組の女子生徒たちの、すすり泣く声がそよいで入り込んで来ていた。
しかし、皆が沈痛していたわけじゃなかった。
僕の教室の、窓際一列目に居る男子生徒が後ろ向きに椅子に座り、後列に居る男子生徒と、声を出さずにジャンケンを繰り返していた。
彼らはその場を和ませようとしていたのか、ただ目立ちたかっただけなのか、それとも単純に退屈をしのいでいただけなのか、当時の僕には理解できなかった。
しかし今、どこかの誰かに、彼らは悲しんでいなかったのかと問われたら、そんなことはどちらでも構わないと答えるだろう。
昼過ぎになって帰宅すると、昼前に僕が戻ると思っていた母が、昼食の焼きそばを用意して待っていてくれていた。
「遅かったじゃない」
「隣のクラスの○○先生が亡くなったんだって」
母は当然、絵に描いたように驚いたが、大まかな経緯を僕は説明した。
母は、女性教師の遺された家族のことを思うと、我が身(母を産んだ祖母は、母を産んだ十九日後に二十七歳で衰弱死している)の数奇な運命と照らし合わせ、いたたまれなくなったのだろうか、母の眼は充血していた。
翌朝の日曜日、マラソン大会の疲れもあり、遅めに起床しリビングへ向かうと、母が僕を待ち構えていたように、朝食の残りが並んでいるテーブルの上に、無理やり朝刊を広げた。
「ねぇ、ここに載っている記事、あんたの学校の先生のことじゃないの?」
新聞の社会面の、小さな記事であった。
「○○区立の中学校の女性教師が飛び降り自殺」
僕は、昨日の体育館で味わった、あの身が宙に浮く感じを、まさかこの短時間で再び体験するとは思わなかった。
母 は「本当に心臓発作で亡くなったって言ってたの?この記事だと自殺になってるけど、同じ区の別の学校の先生にしたって、こんな偶然って重なるかしら」
その通りだと僕も思った。
だとすると、校長先生も各教師も、生徒に嘘をついたということになる。しかしなぜ、嘘をつく必要があったのか。
生徒たちの心の衝撃を考えて、死因をすり替えたのだろうか。自殺よりも心臓発作の方が、死の悲観が薄れるとでも考えたのだろうか。
大人とは、そんな噓をついてまで、子供たちに対して思いやりを持っている生き物なのか、と率直に疑問を抱いたものである。
そして恐ろしかったのが、実は校長先生も各教師も、女性教師の自殺の理由に、はっきりとした心当たりがあったのではなかろうか、と考えたからだ。だから死因をすり替えたのではと。
週明け月曜日の朝礼で、全校生徒の前の演台にて、校長先生は女性教師の死因の訂正と、土曜日のは誤報をだったことを謝罪をした。
だが、もし新聞報道がされていなかったら、きっとあからさまに訂正などしなかったであろうことくらいは、まだ中学二年生の僕でも見透かすことはできていた。
やはりあとになって、保護者経由から色々な噂話が立ちのぼっていたらしいが、有力候補だったことは、その女性教師に対して、一部の保護者から、何らかの圧力が掛かっていたらしいが、それがどのような理由から来るもので、どのような圧力だったのか、それが女性教師の自殺に直接つながることだったのか、それは僕らの知るよしもなかった。
今現在、この女性教師が担任を務めていたクラスの生徒は、未だに忘れようとしても忘れられない記憶の一部となっているに違いない。
担任の自殺の原因の一端を、もしかしたら自分であったり、自分の親が関わっていたのだとしたら・・・。
だとすると未だに、自殺した女性教師の遺族に恨まれ、憎まれ続けているのではないかと、思い起こすことがあるのかも知れない。
僕らの卒業式のとき、卒業生代表の女子生徒が、来場者へ対しての答辞の中で、この女性教師のことに少しふれていた。
ただそれは、ありきたりな台詞のような、つまらない言葉だったということしか、今の僕は覚えていない。
終わり
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