告白夢
- 2021.10.13
- 小説
中学二年生の二学期にもなると、いよいよ来年の高校受験へ向けて中間テストでも本気を出していかないと内申点に響いてくる。
キッチンで晩ご飯の支度の最中である母親から、そんなことをクドクドと言われながらも、僕はリビングのソファで横になってリンゴを丸かじりしながら、ほとんどTVの音で聞き流していた。
「はいはい。じゃあ晩ご飯ができるまでの間、宿題でも片付けてきますかね」と適当な嘘をつき、疑いの眼差し全開の母の視線を後頭部にヒリヒリと感じながら、二階へと階段を登った。
テスト勉強よりも、明日の宿題よりも、僕が優先しているのは「漫画制作」である。僕は小学生のころから漫画を描くのが大好きで、ノートと鉛筆を使って何冊も描いてきた。
主に冒険活劇ものばかりだったが、中学生になってからは俄然SFにも興味が湧いてきて、宇宙人との戦争ものを描いていたが、それは少し前の夏休みに完結させており、次回作の構想を練っていた。
今度は主人公の少年が、ひょんなことからタイムマシンを手に入れて、過去に戻って歴史上の人物に触発されたり、事件に遭遇して、それを解決し活躍をする。
しかしそのことが原因で、若干現代の歴史に影響が及び、現在が少しずつ変化してしまい、戸惑ったり、感動したり、そうして少年は徐々に成長を遂げていく。そんなストーリーを考えていた。
僕はストーリーを考えるのは最初は大ざっぱだった。主にキャラクターを描いてからの方が、物語のアイデアが滾滾と湧いてくるのであった。
主人公の少年は、大体は僕と同世代と決まっている。もう何となくだがデザインは決まっていた。特別に容姿が良いこともなく、勉強が得意なわけでもなく、運動ができるわけでもなく、これと言って特技も無い。そんな、どこにでもいるような、僕のような平凡な少年を決まって主人公にしていた。
主人公が粗方決まると、今度はヒロインのデザインに入る。ヒロインの存在は、僕が漫画を描く上では最も重要だ。それは主人公を描くよりも、ヒロインを描いているときの方が格段に制作意欲が強くなるからである。
どうしても漫画のヒロインには、僕の理想的な女性像を求めてしまう。過去に描いた漫画でも冒険活劇ものであれば、綺麗で格好良くて、強い女戦士を登場させてみたりする。ほかにも聡明で内気で病弱な、でも芯の強い健気な女の子を登場させてみたり。
そうすると、そんなヒロインのことが僕は好きになってしまい、例えば物語に行き詰まって頓挫して、ノートを開くことが面倒くさくなったときでも、ヒロインに再会したい気持ちに促されて新しいアイデアが湧いてきて創作意欲が復活する。
ヒロインに僕が好みの女性を設定することで、様々な相乗効果を生み出すことができる。だからヒロインのデザインは最も重要なのである。
裏を返せば、僕は未だに女性に告白すらしたことのない、頭の中や漫画の中だけで理想の女性像を描いてばかりで、なんの度胸もない、でも思春期まっただ中の普通の中学生なわけだ。
とんだアクシデントからタイムマシンで現代の主人公のもとに現れた。そんな未来人の少女。イメージはできあがっていてもなかなか描けずにいた。何枚デザインしてもしっくりこない。
クシャクシャのノートの切れ端でゴミ箱が一杯になりかけたとき、母親の「晩ご飯できたわよ~!」という邪魔な声(失礼)が、下の方から聞こえてしまった。
その晩、後回しにした宿題が片付いたのが午前二時ころ。睡魔に襲われヒロインをデザインする気力はとうに尽きていた。そんな中で眠りについたせいか、僕は変な夢を見てしまった。
夢の中。学校での昼休み。教室は何故かがらんどうで、校庭から生徒たちの賑やかな声が微かに遠くの方から耳に伝わっていた。僕は自分の机で学習ノートにヒロインのデザインを考えていた。
でも実際は、僕は学校でデザインどころか、漫画を描いていることすら誰にも話したことはない。毛恥ずかしいし、からかわれはしないか、馬鹿にされはしないかとか、そんなことが常に頭をよぎってしまうから。
夢の中では鉛筆を動かしていても、指先がモヤモヤしていて思っていたようには動いてくれない。それでも、教室に誰か戻って来ない内に、どうにかヒロインのデザインを完成させたいと、必死になって描いていた。
「S君(僕)、ちょっといい?」と唐突に後ろから声をかけてきたのは、いつも地味で存在感の無いクラスメイトのWさんだった。
「えっ、な、なに??」すぐに僕は手元のノートを隠すように閉じた。Wさんは僕の真後ろ(実際の僕の席は、後ろから三番目、窓際から二列目のため、真後ろに立たれることはできない)で、僕を見下ろすようにしていた。Wさんは少し大きめの黒縁メガネを(実際も)かけていて、窓からの光が反射していたせいか、目元の表情は伺い取れなかった。
Wさんはいつも寡黙で無愛想。眉毛あたりで前髪がパッツンとしているボブカット。メガネの黒縁で少し隠れているが、頬肉の付近にはニキビが何個もあって、唇はいつも白くガサガサしていて、お世辞でも可愛いとか、そんなタイプではなかった。
が、しかし夢の中では生地の薄い夏服のせいで、クッキリと浮かび上がった胸から腰あたりまでの柔らかなラインが浮き出していて、実は彼女のスタイルが良かったという意外な発見をした。
「で、なに?」と僕。
その問い掛けの直後、Wさんはメガネをパッと外した。あまり意識したことがなかったが、Wさんの目は一重まぶたで細目だったが、黒目がちで子供のような幼さが残る、純粋そうな瞳をしていた。
近眼の彼女はメガネを外したせいで、焦点がやや定まっておらず、左眼だけが斜視のように僕の視点からは少しズレていた。でも浮遊しているようで虚ろな視線の乱れが、なんだろうか、僕が今まで知らなかった、女性の色気のようなものを生まれて初めて感じた瞬間だった。
「わたしね、S君のことが好きなの」
ドキッとした。夢の中であって、その時は夢の中という自覚が無い。なので当然、人生で初めて受けた告白に、僕は舞い上がってしまいドキドキが治まらなかった。
が、僕はもうその時には夢から覚めていて、実際に心臓がドキドキしていた。
真っ暗な部屋の中、天井の電灯から垂れ下がっている紐の先にある蛍光が、ぼんやりとだけ見えていたのだが、心臓の強い鼓動によって耳に走る心拍音が僕の眼球を揺らし、視界全体を震わせているようだった。
その夜は、窓の外が白む明け方まで、まったくうつらうつらもできなかった。
気が付いた時には、けたたましく目覚まし時計が頭上でわめき散らしており、僕がグーで作ったハンマーで目覚まし時計を黙らせた。
その日の朝食は、なんだったかよく憶えていないが、とにかく母親と顔を合わせるのが不思議にどうにも気まずかったことだけは、今でもハッキリと憶えている。
これまで全く意識をしていなかった人に、夢の中で突然告白を受けると、途端にその人のことを意識し始めてしまうのは、一体どういう現象といえるのだろうか。
家から数分で着く中学校までの道程の最中、Wさんのことが頭から一切も離れず、学校にも教室にも入ることすら恥ずかしくてならなかった。
もうすでに数人のクラスメイトが登校していたが、Wさんはまだ来ていなかった。
僕は自分の席に着いたが、気持ちがソワソワして落ち着かない。するとすぐにWさんが教室へ入って来た。
ドキドキして、Wさんを直視することができなかったが、僕の視線は別の方にあっても、意識は彼女の方を向き続けていた。
僕の脇を通り過ぎ、その後に感じた彼女からの通り風は、果実のような甘い香りがした。
僕は、二年生になって別々のクラスになってしまったが、一年生のときの同じクラスだったOさんに対して、未だに好意を持っている。
Oさんは二重で大きい猫目の下に、ぷっくりとした涙袋が目立っていて、広い額を片方だけ隠している髪の毛は、S字にちょっとクセが入っている。
バスケットボール部に所属しており運動神経もある。優しい目元とは反面に、少し気の強めの女の子であった。
僕を下の名前で呼び、自己主張もしっかりしていて、言いたいことをキッパリと告げてくる明朗な人である。僕の漫画のヒロイン像には、必ずOさんの一部をモチーフに描いている部分が多い。僕はずっと彼女のことが好きなのである。
そんな魅力的な彼女のことなので、色々な噂話も後を絶たない。
ついこの間はA君と一緒に下校している所を見た、という会話をしている女子同士の話を耳にして、モヤモヤした気分が随分と続いたばかりか、しばらく晩ご飯も美味しく感じられなかった。
ところが今の現時点ではどうだろう。すっかりOさんの好意は薄れかけていて、Wさんに心を奪われてしまっていてドキドキが治まらない。
僕はいてもたってもいられず、右肘を机について頬杖をつき、外を眺める振りをして、Wさんの方に目線をやった。
窓際の一番後ろの席に座っている彼女は、風に揺れるクリーム色のカーテンが作り出した光の帯と、薄い影の帯を交互に浴びていた。
あの夢の中と同様に、大きめの黒縁メガネのレンズが反射していて、目元の表情は全くつかめなかった。が、教科書なのか参考書なのか分からないが、本を読んでいるWさんの今の姿に、僕はやっぱり釘付けになってしまっていた。
カーテンの揺れがおさまると、Wさんのメガネの反射が治まって、なんと彼女の両目がピッタリと僕の目と合っていることに気付いて驚いた。
「え?・・なにS君、私になんか用?」
少しイラついたような、迷惑そうに眉間に皺を寄せて、まるで文句を言うような話し方だったので、僕は更に狼狽えてしまった。
「い、いやいや何でもないよ」
即座に僕は黒板の方へ身を向き直したが、あたりのクラスメイトが僕のことをクスクスと笑っているような気がして、顔面が火照ったように熱くなって、しばらく顔を上げられずにいた。
Wさんの反応は、明らかに僕に対して、全くの好意の欠片すら見当たらなかったのは、これ以上に考えるまでもなかった。当然だろう。夢の中で告白されたからといって、現実にそうなるはずもない。
当たり前のことなのに、僕はもの凄く恥をかいた気持ちになった。
僕は常に日頃から、漫画のアイデアやキャラクターのことばかり考えている。そんな僕のことなので、夢と現実がゴチャゴチャになってしまって、ヘンテコな感情が生まれてしまったのだろうか。
その日は一日だけ気まずい感じが残っていたが、下校中に見た午後の青い空に、さりげなく掛かっていた白い月が、ほんの少しだけ僕の心を慰めてくれたような気がして嬉しかった。
そうだ、今度のヒロインには大きめの黒縁メガネでもかけさせてみようか。
そう思って下書きを試みたが、特別になにか魅力的に写ることもなかったので、すぐにノートを破ってクシャクシャに丸めて捨てた。
テスト勉強を終えてから深夜遅くに、S字型の前髪をこしらえた猫目の未来少女が、ようやく次回作のヒロインに決まったのだった。
終わり
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