2222 ~The world 200 years from now~
- 2022.06.09
- 小説
1 殺人犯の来庁
「で・・・その、つまり、君が神原(かんばら)教授を殺害した、ということで良いのかね?」
「はい。私が教授を殺しました」
それを聞いて、困ったような表情で、パイプ椅子の背もたれに身体を預けたのは、警視庁の捜査一課に勤務しているベテラン刑事、盾ノ内(たてのうち)警部、その人だった。
盾ノ内刑事、彼は今朝まで夜通しで、とある殺人事件の捜査資料を調べていた。
もう警視庁に二日間も泊まり掛けであり、眠気覚ましのコーヒーの飲み過ぎで胃がキリキリと痛むのもあって、あまり食欲も湧かないでいた。さらに真夏ということもあったので身体中がベタついていて、一度帰宅してからシャワーを浴びて、爽快に着替えをしたい心持ちもあった。それに伸びていた無精髭も、キレイサッパリと剃りたいという、ちょっとした不快感も持っていた。
とりあえず仕事も一段落がつき、今このタイミングしかないと、彼は一旦帰宅することにしたのは、もう窓の外がピンク色に薄ら明るくなった頃だった。
一階でエレベーターを降りたとき警部は思い出した。後輩の榊(さかき)巡査のデスクに、捜査資料の一部を置いてくるのを失念していたのだ。
また戻るか・・・いや面倒だなぁ。
まぁ、あいつはだらしのない奴だから、どうせ今日も遅刻して来るだろう。それにきっと、俺は奴が出勤して来る前に戻って来ているはずだから、やっぱりこのまま帰ろうか。
しかし生真面目なところがある盾ノ内は、数分後には、とっ散らかっている後輩のデスクの前に立っていた。
バサッと資料を叩き置くと、細かいホコリが舞い上がったのと、榊巡査の飲みかけらしい缶コーヒーが目に留まった。
缶コーヒーの飲み口には、乾いて茶色い染みになった唇の跡があり、それが盾ノ内刑事には、何とも言えない汚らしい嫌悪感を抱かせた。と同時に、ますます胃痛が酷くなって、やっぱりあのまま帰っておけば良かったと、後悔を噛みしめていた。
胃痛が酷くなると脂汗がじっとりと額からしみ出て来る。顔に油の膜でも張っているかのようだった。ただでさえ身体中がベタついていたので、少しでも紛らわすために、ヨレヨレになったYシャツの胸の辺りをつまんで、バタバタと風を吹かしてみた。革靴の中もサウナみたいに蒸れていて、蹴り脱いで裸足になりたいほど不快の頂点だった。
警部が再び一階に降りたころ、ロビーには早朝に登庁して来た職員の姿もチラホラ見られたが、徹夜明けで疲労困憊の警部からすれば、そんな職員たちがお気楽なご身分の輩に思えて、顔を見たくもないくらい気分が腐っていた。
ポケットに右手を突っ込んで、二日分の油汗を吸ってボサボサになっている髪の毛を左手で掻きながら、ふてくされた感じでガニ股でドカドカ歩いていると、そんな時だった。
「少し宜しいでしょうか」
と、いきなり横から声をかけられたのだった。
「ん?お、俺か?」と盾ノ内警部。
まず真っ白な薄手の生地で仕立て上げられただろう、鮮やかなワンピースに警部は目が奪われた。
次に百七十センチの自分と同じくらいの身長。
いや、やや踵が高いサンダル風な靴を履いているので、実際は百六十五センチくらいだろうか。
早朝とはいえ、夏場の高湿度にも負けていない、真っ直ぐで黒々とした、絹糸のような艶やかな髪をサラサラとなびかせて、それは立っていた。
「私、人を殺しました」
「え?・・・はい?・・・ちょ、ちょっと待って」
盾ノ内は近くにいる警備係の職員を呼ぼうとした。それは、まず自分は帰りたい一心であったので、いささか面倒くさい感情が働いたからだ。しかし自分は捜査一課の刑事であるため、万が一、あとで怠慢だとか文句を言われても困るので、それは思い留めることにした。
「あー、まぁそう言うけど、そんな・・・君は人を殺してきたようにも見えないけどね」
「いえ、私は明応大学の理工学部に勤務している、神原栄教授を殺してしまいました」
「本当に?・・・う~ん、この暑さだからね。・・・どこか調子が悪いとか?」
まるで信じていない盾ノ内刑事だが、人を殺したと言っているものを、警察がおいそれとは追い帰す訳にもいかない。
「う~ん。じゃあ、とりあえずこっちへ来て下さい」と言った盾ノ内だったが、いきなり取調室に連れ込むのも何なので、事件などの関係者を通す一室へ案内した。
そこは、だだっ広い部屋に長机が数脚あるだけの所だったが、事情を聞くには問題のない場所である。
それでは、話を冒頭に戻します。
2 殺人の動機
「で、その神原栄さんを、あなたはどこで殺してしまったんですかね?」
「大学にある、教授の部屋です」
「教授というのは・・・、神原教授にはご家族はおらんのですか?」
「奥様とご子息が二名おります」
「ふ~ん。ではまずご家族にも確認を取らんとなぁ・・・」
すると警部が聞いてもいないのに「教授の遺体は、今も部屋にあります」と話す。
「・・・そうですか」
困ったことになったベテラン刑事は、後輩刑事に電話をかけた。
ヘタをすると未だに後輩の榊巡査は夢の中なのだろうが、やっぱりヘタをしなくても想像通りだったので、先輩刑事は特段に呆れもせず、用件だけを簡潔に伝えることにした。
「・・・うん、そう言うことだ。だから直ぐに現場へ向かって確認をして来てくれ。念のため、鑑識班も向かわせることにする。頼んだぞ」
電話を切ると、盾ノ内刑事はこの部屋のエアコンがかかっていないことに気が付いた。
だだっ広い部屋なので、エアコンのスイッチは座っている場所からは離れていたが、エアコンが効いていないと分かると、余計に暑苦しさは増してくるもの。
自称殺人犯を目の前にしていたが、彼は犯人が隙を見て逃げるとか、特別に警戒心を強めることもせずに、スッと席を外してエアコンのスイッチを入れに数メートルほど移動した。
クーラーのスイッチを入れてから彼が振り返ると、予想通り、ワンピース姿は背筋をキチンと伸ばし、微動だにせず、前を向いて着席したままだった。
再び席に戻った盾ノ内は「今ね、現場に人を向かわせて事実かどうかを確認するからね。もうしばらく、そのままで待っていてもらえるかな」
「私は、人を殺してしまいました。ちゃんと罪を償いたいので、はやく罰を与えて欲しい・・・」
「え?・・・う~ん、罰ね。・・・ただ俺の仕事は罰を与えるのではなくて、犯人を捕まえることなんでねぇ」
無精髭をジョリジョリと掻くと、今度は彼はコーヒーではなく、無性に水が飲みたくなってきた。さすがに室内に水は無い。なので部屋を出て、その先のエレベーターホールにある自動販売機へ買いに向かった。そう、自称殺人犯を部屋に残したままで。
自販機でミネラルウォーターを買うと、もう我慢ができずに、直ぐにその場で半分くらいを飲み込んだ。冷たい水が一気に胃に染み入って、若干ではあったが胃痛も和らいだ気がした。
部屋に戻ると、これもまた彼の予想通り、ワンピース姿は背筋をキチンと伸ばし、前を向いて着席したままだった。
真横から見ると、ワンピース越しでもスタイルの良さは分かった。小高い鼻筋に、少し尖った柔らそうな上唇の形状を見ると、急に盾ノ内刑事は持ち前の洞察力からか、とある連想が思い立って、それを確認したいという興味、と言うか、好奇心が湧いて出てしまった。
「ところで君はどうして、そのぉ・・・神原さんを殺してしまったのかね?人を殺すには、なにか動機があるじゃないか?」
刑事が抱いた連想からは、わざと遠回しな質問を投げかけてみたのは、彼が思ってあえてのことである。
「殺して欲しいと、教授から頼まれました」
「んん?・・・殺して欲しい?教授から?・・・どうして神原教授は殺して欲しいなんて言うのだね」
「私がいるからです」
「ん?・・・ふ~ん。それではちょっと意味が分からないがねぇ」と言うと、盾ノ内はさっき買った水をまた飲もうと、ボトルを口に運んだ。
「教授は、私を愛してくれましたから・・・」
それを聞くと、口に含んだ水を吹き出しそうになるのを必死に堪えた警部は「愛した?君のことを?・・・教授がかい!?」と、わざとらしく大袈裟に返した。
わざとらしく・・・とは、盾ノ内刑事が思い描いた連想を、現実的に証明をしたかったからである。
「うんうん、では教授はどうやって愛してくれたのかね?君を女としてかね?それとも・・・」と言いかけた途中、彼の話を遮るようにして「はい。私を女性として、愛してくれました」と、それは答えた。
「つまり、その・・・なんだ。教授は妻子がおるにも関わらず、君のことを女として愛したということですな?」
「さっきから何度も、そう申し上げておりますが・・・」
こう返されたので仕方なく、盾ノ内刑事は同調することにした。
「はいはい、なるほど。では、つまりお二人は愛し合っていたということですか?」
「えぇ、私は教授のことを愛しています。今も」
それを聞くと盾ノ内は両腕を組んで、う~んと低く唸った。
ややあって盾ノ内は「ではどうして、君がいるという理由で、君は愛する教授を殺してしまったのでしょうか?なぜ教授は、君に殺してくれなどと依頼したのでしょうか?」と問うと、相手の返事はもちろん早かった。
「教授は私を愛してくれました、と先ほども申しました。教授は私に、こう言ったのです・・・」
『僕はもう、どうにもならないこの純情をお前に注ぐことに疲れ切った。いっそのこと、お前の手でこの僕を殺してくれないか』
するとこんな良いタイミングで、榊巡査から盾ノ内警部へ電話が入った。
反射的に盾ノ内は電話機を掴んでしまったが、女の話の続きを聞きたい好奇心と、後輩の現場からの報告を聞かなければならない義務感が、少しだけ通話を始めるまでに間を開けてしまっていたが「ちょっと失礼」とだけ言って、部下との通話を始めた。
「盾ノ内さん!死んでいます!確かに明応大学にある校舎内の神原教授の部屋で、教授は亡くなっています!」
「・・・そうか。遺体はどんな状況だ?・・・うん。・・・うん、分かった。鑑識班が到着するまで待機しろ。またな」
早々に榊巡査との通話を終えた盾ノ内刑事だが、こうするにはキチンとした理由があった。
この女はどうやって神原教授を殺害したのか、現場の状況を知った彼は、女の供述を取って、ことの整合性を図る必要があったからだ。
3 不純の意味
「ああ、失礼・・・。で、純・・・いや、では具体的に、君はどうやって神原教授を殺害したというのかね?」
こう問い掛けると、女は迷いも無く即座にこう答えた。
「椅子に座っている教授を、私は後ろから抱きしめました。そして教授の首を瞬時に捻って、頸椎を脱臼させました。ですので、教授は一切の苦しみを感じることなく、即座に死亡しました」と、サラリとこう答えたのだった。
「で・・・、教授の最期は、どのような格好で?」
「頸椎を脱臼させましたから、首は左前にもたげるようにぶら下がっておりましたが、そのままの姿勢もむごたらしいので、椅子をリクライニングさせて、眠っているようにさせました。そしてこう、両手を組み合わせるように、お腹の上あたりで」
女は生っ白い両手を胸の下あたりで組んでみせた。
女の話は、先ほどの榊巡査から電話で伝えられた現場の状況と、まったく相違点が無かった。
こうなると盾ノ内刑事は、この女が神原教授を殺害したことにほぼ間違いないと断定せざるを得ない状況になった。
が、しかし、盾ノ内警部の目論みはまだ途中である。
「やっぱり理解できませんなぁ。教授が君を愛する理由は、どことなくですが理解はできましょう。しかし、君が教授を、君が人を愛するとは、とうてい理解ができないのですよ」
「はい?どうして私が教授を、私が人を愛することが理解できないのでしょうか」
「では改めて聞くが、教授が言った『どうにもならないこの純情』とは一体どういう意味なのか、君はどう理解しているのかな?」
「純情とは、濁りも汚れも無く、一心を持って愛情を注ぐこと」
そして女は、こう続けた。
「どうにもならない純情とは、自分でも計り知れないほど、抑えきれないほど、唯一無二の愛の境地に、心情が達したこと」
盾ノ内は、ふぅ・・・と溜め息をついてから「ではどうして教授は、そこまで愛した君に殺してくれなどと言ったのだろうね?」と再度たずねた。
ここまでは、盾ノ内刑事の問いに、数秒の間も無く返答していた女だったが、このときばかりは、やや思考が止まった様子だった。
盾ノ内は、やはりこの女の異常を見逃さなかった。
席を立つと、エアコンのスイッチがある部屋の片隅へ移動した。
そこで榊巡査に電話したのは、ある確認のためである。
「あぁ俺だ。どうだそっちは?・・・あぁそうか。ところで教授の部屋に、ADD社のカタログか何かあるか?」
「え?あの、ADD社のですか?ただ今はちょうど鑑識の最中ですからね、ちょっと遠巻きからだと分からないですけど・・・それがどうかしたんですか?」
「いや、じゃあいい。もし見つけたら早速教えてくれ」
「はい、分かりました。あ、盾ノ内さん。神原教授ですけど、どうやら部屋に愛人か情婦でも呼んでいたのかも知れませんね」
「ん?どういうことだ?」
「ゴミ箱の中に避妊具が捨ててあるんですよ、使用済みの。鑑定すれば教授本人の物と分かると思いますが。いやぁ、こんな立派な大学の教授ともあろう人が、教授室でなにをしていたんですかねぇ」
「おいおい。気持ちは分かるが仏さんの前だから失礼にあたるぞ。何か分かったら連絡をくれ」と通話を終えようとした。
「ああ!盾ノ内さん!・・・ところで、盾ノ内さんに情報を提供してくれた人って、重要参考人なんですか?まさか女?」
「いや・・・参考人ではあるが、少し違う。詳しくはもう少し調べてからだ」と言って電話を切った。
通話を終えた盾ノ内は、先ほどエアコンのスイッチを入れたときと同じように、女が座っているのを遠巻きから見ていた。
相変わらず女はワンピース姿で、背筋をキチンと伸ばし、パイプ椅子に着席したまま、前を向いて微動だにしていない。
すだれた美しい黒髪から、少しだけ見える造形美が際立つ鼻筋に、ふくよかな胸のライン。
やはり刑事が当初に感じた、とある連想がいよいよ確信に近付いたと、彼は実感し始めたのだった。
「で、どうです?これでこの質問は三回目になるが、どうして教授は、君に殺してくれなどと言ったのだろうか。その答えは出せそうかい?」
すると、ややあって女は「教授は、私を愛してくれた。どうにもならない純情で、私を愛してくれた・・・」と答えたが、「愛する私に、殺してくれと頼んだ。どうして?どうして?」と自問自答をし、若干の動揺を始めた。
ここぞとばかりに盾ノ内は、女に向かって混乱の種をバラ蒔いた。
「そうだ!・・・どうして神原教授は、君を純情に愛していると言いながら、君に殺してくれなどと依頼するのか。それはだね、神原教授には奥様とご子息がいる。家庭があるにも関わらず、君を愛してしまったがゆえにだ。教授は、もちろん家庭を愛していた訳だな。ところが、君を深く深く愛してしまったのも事実であるからして、そうなると、どちらに転ぶにしても愛の蟻地獄に陥ってしまうのだよ。分かるかい?つまりは・・・」
ここまで刑事が言うと、またしても女は、刑事の話を遮るようにして、今度は語気を強めて反発した。
「教授は、私を深く深く愛してくれた。どうにもならない唯一無二の純情で、純粋に私を愛してくれたのです。あなたが言っていることは違う・・・」
こう来られたが、ここは負けじと盾ノ内は女に突っかかった。
「ところが、そこが大きく違うのですよ。人間社会においては、それを純情とは言わんのです。真反対の、不純と言われるのです!」
女はまた、やや間を置いてから「不純・・・?」と、盾ノ内刑事に聞き返すようでもなく、何もない空間に向かって言葉を投じた。
「えぇ、不純です。教授は不純だったのです。不純の意味はご存知ですかな?」
彼がこう言っても、女は反応を示しません。
「良いでしょう、では続けましょう。神原教授は、君のことを深く愛してしまったことは事実です、と先程も申しましたが、どうにもならない純情というのは、残念ながら教授がついた嘘でしょうな」
今度は先までの間を置かず、女は早々に切り返してきた。
「嘘?・・・どうして教授は、私にそのような嘘をついたのでしょう?」
「ふ~ん。・・・世間体、体裁のようなものでしょうかな。ですが、だからといって、教授が君に殺害を依頼した理由と、君が教授を殺害してしまった動機というのが、どうにも結びつかないのだがね」
「ですが私は、この手で教授を殺したことに間違いはありません。どうか、私に厳罰を・・・」
「いやいや。今のこの国に、そもそも君を裁く法律というものが無いのだよ」
ここで刑事は、ペットボトルの水をグイと一口飲み込んだ。そしてこう続けた。
「愛していると言うのならば、ずっと一緒に居たいと思うことが普通なのです。しかし、殺してくれだの、私が殺しただの、そんなもんが純情だなんて、あったものじゃありません。もちろん、人間の愛情というものは、もっともっと複雑なのですがね」
すると再び後輩の榊巡査から電話が入った。
先ほどと違って、盾ノ内刑事は席を外さずに、あえて女の目の前で、着席したまま通話を開始したのだった。
4 癖
「どうだ、例のはあったか?」
「はい、ありました!ADD社の製品カタログと、教授のPCには、ADD社からの購入履歴も残ってます!」
鼻息を荒くして、さらに榊巡査からの報告が続く。
「しかし驚きましたよ!教授は大学にある、開発中のスーパーコンピュータを使って、恐らくADD社のプログラムデータに不正に改良を加えていたようですよ」
「俺はそうだろうと思っていたよ。直ぐに鑑識に大学のスーパーコンピュータの解析をさせるんだ。俺はADD社に通報する」
「やっぱり!・・・これで僕も分かりましたよ。盾ノ内さんの目の前に居るのは、ADD社のアンドロイドですね!?」
「あぁ、そうだ。こいつは恐ろしい代物だぞ。マシーンなのに人間を心底愛して、且つ、その人間の命令で、その人を殺しやがった。それにしっかりとした自我も持ち始めている。つまりこちら側と平然と問答をこなしている。考えられない機能を備えているぞ」
「本来ならばそれはあり得ませんよね。アンドロイドは命令には忠実ですが、殺人や暴行などの行為は行わないように、その手の指示にはエラーが働くようにプログラムされてますからね。それに、性的な、いかがわしい指示や行動を起こさせる命令や、アンドロイドに危害を加えようとした場合は、ADD社に自動通報されますから・・・もしかしたら、そんなシステムも解除していたのかも知れませんね」
「だろうな・・・。よし、とりあえず現場は任せたぞ。俺はADD社に連絡して、このアンドロイドを停止してもらう」
明応大学の理工学部に勤務している神原栄教授を殺害したと訴えて来たのは、アンドロイド、いわゆる人造人間であった。
盾ノ内刑事らが生きているこの時代は、世界人口よりもアンドロイドの方が数が多くなっている時代に入っているのだ。
このアンドロイドを製造している大手企業のひとつが、ADDカンパニーである。
ADD社が製造しているアンドロイドは、生活支援型のアンドロイドなので、人間の身辺補助がメインになる。
主に男性型と女性型があるが、性能に差は無い。
もちろん必要用途によってニーズは様々で、肌などの質感は人間と遜色なく、平均的な体型に作られている。
指示命令系統は、プログラムされた人物以外は反応はしない。なので盾ノ内刑事はADD社へ連絡をして、遠隔操作でこのアンドロイドの機能を緊急停止させた。
これ以外のアンドロイドの細かな性能、タイプに関しては、この物語とはあまり関連がないので割愛させて頂く。
ADD社が、この女性型アンドロイドを回収しに警視庁へ来たのは、昼を過ぎた頃だった。
恐らく、神原教授は理工学の研究において、このアンドロイドの知能を司るコンピュータに、大学にある研究用のスーパーコンピュータを駆使し、違法と知りつつプログラムを不正に改良を加えた疑いがあると、当初から盾ノ内刑事は睨んでいた。
だが、人間が機械的な「物」を愛するという、いわゆる変態的な「癖」は古今起こり得てはいるが、逆に機械の方が人間を愛するという、それも、よりによって心底愛してしまい、殺害せしめてしまうという現象は、決して起こり得ないはずだった。
神原教授が行った違法改良は、実験的になのか、自慰的のためなのか、その両方なのか、はたまた、それ以外なのかは分からない。
ただひとつ言えるのが、その改良によってアンドロイドに「自我」が生まれたことが、重大な危険因子であった。
危険因子が、それが今回たまたま「愛情」のほうにスイッチしたのだが、もしも「狂気」や「暴走」のほうに切り替わった場合を考えると、それは人間社会にとって、とてつもなく大きな脅威になってしまうだろう。
なにせ、先ほども説明したが、今の時代は、世界人口よりもアンドロイドの方が、圧倒的に数が多くなっている時代なのだ。
神原教授の違法改良について、盾ノ内警部にして、いくつか思い当たる節はあったが、いかんせん神原教授の人格までは、今の時点では知るよしも無く、残された家族の気持ちをおもんぱかると、警部は同情の念を禁じ得なかった。
しかし、数多くの事件を見てきた警部なので、おおよその予想は立てられるが、どうせ人間がやることである。
自らの「欲」がそうさせたのだろう。所詮、人間というものは、いつの時代になっても根幹は変わらない。
それは盾ノ内も、よく分かっていた。
ようやく一旦の帰宅にありつけた盾ノ内は、通勤途中にある、自宅近くの小さな公園にさしかかっていた。
傍らの古木に、ヒグラシがカナカナカナとお腹を鳴らして、そろそろの日没を告げている。
公園には夏休み中の子供たちが、日没を未練がましく遊んでいた。そこへ「ご飯が出来ましたので、帰りましょう」と、エプロン姿のアンドロイドがやって来た。
子供はアンドロイドと手をつないで、オレンジ色の中の住宅地へ入って行った。
「ただいま」
「お帰りなさい。お仕事お疲れさまでした。ご飯にしますか?お風呂にされますか?」
「また直ぐに戻らないといけないから、風呂に入って着替えて直ぐに出るよ」
「かしこまりました」
そう、盾ノ内 壮一(独身)五十七歳も、ADD社のアンドロイドオーナーのひとりなのだった。
しつこいようだが、今の時代では各家庭にアンドロイドが一機あっても珍しいことではない。
盾ノ内はアンドロイドのことを「エイミ」と呼ぶが、これはこの女性型アンドロイドの呼び名(十七年前に別れた女房の名前)である。
「はい、どうかいたしましたか?」
「君は、俺のことを・・・」
「はい?・・・」
「いや、なんでもない。風呂に入ってくる。あぁ、今よりもう少しエアコンを効かせておいてくれ、暑くてかなわん」
「はい、かしこまりました」
数日ぶりのシャワーを浴びて、彼はガシガシと頭を洗っていた。
すると背後からエイミが声をかけてきた。
「お着替えは、こちらにご用意してありますので」
「ありがとう!・・・あ、そうだ。エイミ?」
「はい、どうかいたしましたか?」
「君は、俺と一緒に暮らしていて幸せかい?」
するとエイミは即答した。
「申し訳ございません。おっしゃっている意味が分かりません」とだけ言って、脱衣所を離れて行ってしまった。
しばらく手が止まってしまった盾ノ内だったが、またシャンプー洗いを再開した。
そして、こう思った。
「いやいや、やはりこれが普通なのだよ。アンドロイドなんて、そもそもこんなものだ」と。
しかし彼は、今なら少しだけ神原教授の気持ちも分からなくないと、教授がアンドロイドの深みにはまった人間味にだけは共感していたのだった。
2222 ~The world 200 years from now~ 今から二百年後のお話
※2022年制作
終わり
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