南十字星と初恋 11「裏腹な本心」
- 2024.05.30
- 小説
・この話の主な登場人物
「鳥海 美咲(とりうみ みさき)」十九歳:女優、政樹の従妹
「木戸下 玲華(きどした れいか)」三十五歳:政樹と美咲が所属する芸能事務所社長
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「いや、だから・・・私がチヤホヤとか、優越感に浸りたいとか、お父さん本気で聞いているの?」
「本気で聞いているかだと?・・・俺はいつも本気だ。今さらお前の心配なんぞいらねぇよ。ここには昔っから、一緒に地ベタ這いずり回って、泥まみれになって、山や畑を切り開いてきた仲間らがいる。・・・俺の舞台は一生この村だ、この土地だ。・・・ここを出て行った、お前の出る幕じゃあねぇ!」
「お父さんったらもう・・・。ねぇ、お金は足りてる?仕送りが残っていなかったら、また多めに送っておくから」
「・・・そういうところなんだよ」
「え?」
「いつかお前が、なにか・・・なんかの宣伝でワイドショーかなんかに少しだけ出たときだ。その前の話題かなんかで、世間は物価が上がって、庶民はカツカツで日頃の生活に困っているっちゅう話題のあとだった。司会者にこの話題を振られたとき、お前が『私もついこの間、スーパーマーケットに行ったときに、あらゆる食材の値段が上がっていて、本当に驚きましたね』なんて言ってたよな?」
「・・・だったと思う、けど」
「あれはお前の本心か?」
「もちろん、噓なんて言わないわよ。ましてやテレビの生放送で」
「そこなんだよ」
「え?・・・もうなんなのよ、さっきから」
「世間様の大半はお前のその言葉に、あんたみたいに大金を稼げる仕事をしている人に、私ら一般庶民の生活苦とか、本当の厳しさなんてわかる訳がないだろ、って思われてんだぞ」
「・・・」
「まぁあれはお前に対してだけではないだろうな。司会の男(フリーアナウンサー)とか、横で意見を言ってる芸能人(コメンテーターのタレント)も含めて全員が、世間様から冷めたい目で見られてんだぞ」
「・・・なにが言いたい訳?」
「しらけるんだよなぁ。・・・成功者みたいな顔をしている奴が、小さい金額のことをチマチマと気にしています、みたいな言い草がな。・・・苦しんでいる人ってのはな、いまそのときが苦しいんだ。・・・いま現在が苦しいんだよ。だからテレビでぬくぬくしている連中が、いかにも庶民の気持ちを代弁してます、みたいに気取られるのが、無性に気持ち悪んだよなぁ」
「・・・もうその話いいわよ・・・とにかく、また送っておくから」
「いらんいらん!!んなもん、いるか!!・・・俺は大丈夫だ!お前は勝手にやれ!」
「そうもいかないでしょう!私の故郷には変わらないんだし、戻ったっていいじゃない?」
「お前みたいのが来たって、こっちじゃ、なんの役にも立たん。・・・お前に怪我した人を治せるか?ぶっ壊れた家を建て直せるのか?お前ら俳優なんて仕事はな、世の中が全部お膳立てできている状態で、初めて他人から求められる職業なんだ!こんな被災した酷い地域に来たって、一向に役に立たん!・・・いいか、これだけは忘れるなよ?・・・お前は、お前が選んだ仕事を、お前の力が活かせる場で、存分に全うしろ!」
「えっ?」
「ふん。ただ人気者になって、ただ金持ちになって、それで人より偉くなったつもりか?・・・人っちゅうのは、人間社会っちゅうのは、綺麗事だけじゃ済まされんことぐらい・・・なんだ、そんな大役でもお前にまわって来りゃ、少しは役を演じて人生勉強でもできるだろうがな!・・・ハハハハハ!」
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そこまで話をした玲華は、また再びあのアルコール度数の高そうな聞いたこともない名前の洋酒を頼もうとしたが、さすがに美咲がそれを制止した。すると玲華社長は、美咲の飲みかけだったウーロン茶を奪って、一気に飲み込んだ。氷を頬張ってガリガリと噛み砕く。またもや美咲は(このひと大丈夫か?)と右側の頬をヒクヒクと吊り上げて眺めていた。
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「木戸下さん。先ほど親戚の方から事務所に連絡がありまして・・・。その、つまり、お父上がお亡くなりになったと。・・・避難所で、急に倒れられて」
父と電話で話してから三週間後だったわ。父は大丈夫だと言っていたけれど、実は肋骨と左足の脛を骨折していたの。私には強がっていたけれど、相当無理をしていたんじゃないかしら。震災で負った怪我とストレスが祟ったのね。心筋梗塞を起こして急死したの。
私はそのとき連続ドラマの主演をしていて、スケジュールも分単位で詰まっていた。何とかして父のところへ、実家へ行きたかったけれど、こんな仕事をしていたから。・・・覚悟はしていたとはいえ、本当に親の死に目に会えないなんて、まさか思ってもいなかった。
ようやく撮影を終えたのは、それから二週間後。別の仕事もあったから、ほんの束の間の、たった一日・・・と言うより、数時間だけなんとか時間を作れたから、強行軍で飛行機と車でもって、ようやく実家へ帰れたわけ。
もちろん父はもう骨壺に入っていたわ。実家は半壊していたし、他に近くには身内も誰もいなかったから、父の遺骨は檀家のお寺に預けられていたの。
お寺で住職さんがお経を唱え終えると、父の入った骨壺を私にそっと差し出して「玲華ちゃん、家には行ったのかい?・・・まだかい。そうか、じゃあお父さんと一緒に行っておやりなさい」なんて言われたけれど、あまり時間も無かったから、ほんの少しだけってマネージャーに言って、車で実家に向かったの。
もうどれくらいぶりだったかしら。
東京に出てから実家になんて、一切帰ったことなかったけれど、あの頃と、私が出ていった頃と、そんなに変わっていなくって、懐かしいと言うよりも、よくこんなところで私は育ったものだ、なんてね。・・・父の骨壺を抱いていることすら忘れてしまうくらい、車の後部座席から、なんてみすぼらしい土地なのって見下して、寂れた景色に辟易すらしていたの。
実家の敷地は無駄に広くって、半分以上崩れてしまった家を目の当たりにした。二階の屋根が地面に滑り落ちていて、玄関の位置がまるで分からなくなっていた。父の骨壺を抱いたまんま車から降りると、さすがにしばらく動けずに呆然としてしまったわ。やけにあたりが静かだったわね。元々静かな場所ではあったけれど。嫌々働かされていた倉庫も壊れて、薄暗くなっていて、思い出もなにも思い出したくなかったから、私は早々に引き返そうとしたの。
でも、何となく後ろ髪が引かれて、玄関ってこのあたりだったかしら、なんて屋根瓦や瓦礫が積み上がっているところに目をやると、グシャグシャでボロボロになっている紙切れが、瓦礫の隙間からチラっとだけ見えたのね。ちょっと気になったから近寄ってみると、黒いマジックで、なにかが書かれているものだから、お父さんの骨壺を片腕に抱えて、もう一方の手で紙をつまみ出してみたらね「父は無事 すぐ東京へ戻れ」って汚い字で書かれていたの。字が汚くって思わず恥ずかしくなったけれど、すぐ東京へ戻れって、なんかお父さんらしいなって。
でも裏側にもなんか書かれていたの。
その紙の裏側にね「父は無事 ひなん所にいる」って書かれていたの。
これって本来どちらが表で、どっちが裏だったのかな?
どちらの言葉を最初にお父さんは書いたんだろう。
どっちがお父さんの本心だったんだろうか。
私はもう分からなくなった。やっぱり待っていたのかな、私のことを・・・って。この紙切れって、きっと震災直後に避難所へ向かう前に父が書いて、瓦礫に挟んでいったんでしょ。そう分かったら、急に何か父の気持ちが私に迫って来たっていうか、やっぱり寂しかったのかなとか、心細かったのかなって。
それとね、想像をしちゃったのよ。
震災直後で、自分が長年暮らしていた家の半分が崩れ落ちてしまって、この先にどんな人生が待っているのかすら考えられない状況で、父がたった独りで紙にマジックで「父は無事 ひなん所にいる」って書いて、崩れ落ちた屋根瓦でその紙を挟んで。
半壊している自宅の前で、折れた足を折り曲げて、ポツンと独りでいる父の姿を想像しちゃったの。
私が東京へ出て行ってから十数年間、父はずっとこの土地で独りで生活をしていた。来る日も来る日も泥だらけになって、野菜を作って慎ましく暮らしていたんだなって。そう思えてくると、私は涙が出てきてしまって。
またタイミング良く通り雨が降ってきちゃってね。父の骨壺とその紙切れを強く抱きしめながらワンワン泣いちゃったわ。驚いたマネージャーが走って来て傘をさし出してくれたけれど、私はしばらくその場を離れることはできなかった。
しばらくしてお寺に戻ると、住職さんが「おや、雨に降られましたか。水も滴るなんとやら、それは涙か雨水か。さすが名女優といったところですな。・・・やや、堪忍しておくれ。別にからかった訳じゃない。お父さんがね、ここへ来るたびに、あなたの自慢をするもんだから。あの商品のCM見たか?あれは俺の娘なんだ、とかね。いくら私は仏門の身であっても、いささか嫉妬してしまうのでね。・・・私も修業が足りないのでしょうなぁ」と笑って言ったあとに「お父さん、良かったですなぁ。これで、しっかり自慢の娘さんとお別れできましたなぁ」って言いながら、私から骨壺を受け取ろうとしたの。
「あの、勝手を言ってすみません。・・・納骨、もうしばらく待って頂けないでしょうか。父に、お父さんに東京を見せてあげたくて。父はここの土地から一歩も出ないで暮らしていたもので」
「へ?・・・あぁ、そうかい。そりゃあお父さんも喜ぶでしょうなぁ。いやぁ、本当に親孝行な娘さんを持って、実に羨ましい。是非そうしてあげて下さい。気が済むまで、おそばに置いて差し上げて下さい」
あとで分かったことだけれど、私が送っていた仕送りに一切手をつけないで、全て別の預金口座に貯めてあったらしいの。私は父に逆らって上京して、罪滅ぼしみたいに仕送りをしていたつもりだったけれど、お金じゃなかったのよね。
私は父のことを、なにも分かっていなかった。
でもあのとき、もし私が父の言いなりになって地元に残って居たら・・・いや、でも父は私のことを理解していたから、何を言ったって、私が東京へ出て行くことが父には分かり切っていたことだから、だから黙って諦めたのかな。
父が居なくなってしまった以上、そんなことを想像することしかできなかったのよ。
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「美咲は、誰か近しい人が亡くなったことってある?」
「・・・いえ、まだ両親も、両親の祖父母ですら健在だし、小さいころに曾祖母のお葬式に出たことくらいしか記憶にないですね」
「そうよね。私ね、父の死に顔を見ていないのよ。話をした通り、行ったときにはもう骨になっていたからね。例えばさ、TVに出まくっているあなたにこう言うのも変だけれど、芸能人とか誰か・・・例えば著名人が亡くなったとするじゃない?TVとかでしか知らない人って、当然身内ではないから、お葬式に出られる訳もないし、もちろん死に顔を見られる訳もないでしょう?亡くなった人がメチャクチャにファンだった人だとしたら、美咲はどう思う?」
「え?・・・そんなこと、想像もしたことないですけど・・・たぶん、信じられないとか、信じたくないとか、そんな複雑な気持ちになって、かなり落ち込むと思いますね」
「そうよね。いくらTVとかで騒いでいても、その人の死を現実として受け入れるのに、時間ってすごく掛かると思うのよ。TVや報道で一方的に見せ付けられているだけでしょ?・・・逆にあまり知らなかった有名人の死って、結構忘れ勝ちじゃない?しばらくしてからTVとか映画を見返しててさ、あれ?・・・この人って亡くなったんだっけ?なんて思ってネットで調べてみたりとかして」
「確かにそれはありますね」
「これはあくまで私の持論だけれど、それってね、その人の死に顔を見られていないから・・・っていうこともあると思うのよ」
「え?死に顔・・・ですか?死体・・・ってことですか?」
「そうね。私みたいなパターンもそうだけれど、もっと悲惨な・・・事件とか事故とか、災害で消息不明になってしまった人だとか、そういった件で、キチンとしたお別れができなかった近しい人なんか、恐らく何年も経っても、やっぱりまだどこかで生きているんじゃないかって、考えてしまうと思うのよね。・・・私だって父が骨になって、この骨壺に入っていますって言われても、本当にこれが父なのって、根拠がない疑いって、未だに湧いてくるものなのよ」
「つまり・・・現実として受け入れられないっていうことですよね?」
「うん。でも、受け入れざるを得ない状況ってさ、結局のところ、本人が居ないからっていうことくらいなのよね。・・・私の場合、骨の入った骨壺があって、どこを探しても父が居ないから、受け入れざるを得ないっていう感じ。いくら親戚の人から、安らかな顔をしていたよ、とか言われても、私がその顔を見た訳ではないから、なにか納得ができないまま、腑に落ちないまま、お父さんの死が宙ぶらりんのままになっているのよ」
「・・・それって、ちゃんとお別れするには、キチンと顔を見る必要がある・・・ってことですか?」
「私の場合は、っていう意味ね。私はそうしなければ、いつまで経っても、どこまで行っても諦めが付かなくなっちゃったのよね」
「えっ?・・・ってことは、社長は未だにお父さんが、どこかで生きているんじゃないかって信じているってことですか?」
「公言はしないわよ。そんなこと他人にベラベラしゃべったら、私が頭おかしいとか思われちゃうでしょ?だからあくまでも、自分の中で消化しきれていない・・・っていう話」
「・・・で・・・ですけど、これとセリフが憶えられなくなって女優を辞める理由と、何が関係していたんですか?」
「あらま・・・。だいぶ脱線したわね。でもね、この出来事がきっかけになって、徐々に私の中で何かが変わり始めてしまったの」
こう言って玲華は、自身で女優業を廃業した理由を、己の酔いが回った頃合いを見計らって、ようやく語り出したのだった。
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