南十字星と初恋 17「雪夜の本音」
- 2024.05.30
- 小説
・この話の主な登場人物
「富岡 政樹(とみおか まさき)」二十五歳:鳥海美咲の従兄でマネージャー、元ミュージシャン
「奥屋 紗知(おくや さち)」二十六歳:週刊ターゲットの記者
「盾ノ内 凡司(たてのうち ぼんじ)」二十五歳:警視庁刑事、巡査、政樹の同級生
「道内 佳澄(どうない かすみ)」三十五歳:警視庁刑事、警部、凡司の先輩
「家妻 雪夜(かづま ゆきよ)」二十九歳(享年):シンガーソングライター
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思い返してみれば、私が紡いだ詞たちに「死」という言葉は無かった。
「等身大」とか「今」、「心」であったり「愛」や「夢」とか。
そんな言葉が多かった気がする。
「必死に」とかはあったかな?・・・ま、いいか(笑)
まさか自分が死を意識するなんて、これっぽちも考えていなかった。
病気が分かったときも、今も、私はまだまだ生きていたいって思っているもの。
もっとたくさん詩を書いて、歌を歌って、作品を作って、みんなに届けたい。
これまで通り、いや、今まで以上に夢を追いかけていきたい。
それは、アーティストとしての私の夢だから。
ひとりの女性として・・・人としての夢はどうだったかな?
私には、とっくに親がいないから、親孝行がしてみたかったな。
親に家を建ててあげるって、格好つけてやってみたかった。
人並みかどうか分からないけれど、人並みな恋愛はしてきたつもりで。
ゆくゆくは結婚したり、子供を産んで育てたり。
料理を作って旦那さんの帰りを待っていたり。
そんな幸せも送りたかったわよね。
贅沢だったのかな?
見る人から見れば、私って成功者に見えちゃうんだもの。
本当は、埋められない穴ばっかりの人生。
いけないけれど、ダメだけれど、どうせ死ぬなら、さっさと死んじゃおう・・・とも思った。
あれ?・・・私いったい、何に苛立っているんだろう?
やっぱり「死」って言葉は重いよな。
助かるのかな、とか。
手術のあとって痛いのかな、身体、傷ついちゃうよね、とか。
そんなことばっかり考えてしまう。
くよくよしている自分に、やけになっている自分に苛立っているのかな?
やっぱり、また元気になれるなら、蜘蛛の糸だって何でも掴んでやろう。
そんな頃だったかな、お兄さんから連絡があって、思いがけない提案をされたのは。
最初にその提案を聞いたときは、心配性で不安性で、疑り深い私には動揺しかなかった。
だってお兄さんに会うのだって、私が二十歳のころ、確かおばあちゃんのお葬式のとき以来だったし。
外国へ行って、病気の治療をするなんて、考えもできないもの。
世界中の名医が集まる医療都市。
病院の理想郷、オーストランドのノスタルジア病院群。
計画書をもらったけれど、キチンとしているし、すべて段取りをお兄さんがしてくれるみたいだし、行ってみようかな。
異母兄だけれど、兄妹は兄妹。
助けてもらおうかな。
それに、行ってみる価値はあるよね。
不安もあるけれど、一筋の蜘蛛の糸、一縷の望みも持って良いよね。
みんなにはしばらく会えなくなっちゃうな。
そこってインターネットも遮断されているような、隔離されたような場所らしいけれど(笑)
元気になって、日本に帰って、また音楽を作ろうね、私!
行って来ます!
病気になんか負けないよね、私!
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ファイルを開き、保存されていたテキストシートの冒頭部分に、このメッセージが綴られていた。
家妻雪夜のパソコンのディスプレイを、食い入るようにして、この文章を読んでいたのは佳澄警部だった。
場所は、いつぞやに顔合わせをした和食店の個室。そのうち奥屋記者だけが、まだ到着していなかった。
「これって、いったいどういう文章なんスかね?」
凡司巡査が腕組みをしたまま、先輩の後ろに立ってこう言った。
「自分も読んでいて、その・・・雪夜さんの心境は分かるんだけど、最後のあたり、医療都市のノスタルジア病院群ってなに?」
横の政樹が、腕組みの親友にこう聞いた。
「どう読んでも、これから死に逝く人の言葉じゃないよな。で、この病院がなんだっていうんだか」と親友は返したが、続けて「しかしマサ、よくもまあパスワードの解析ができたな!お前じゃなかったら絶対に無理だったぜ!さっき説明してもらっても、俺にはサッパリ理解できねぇわ!」
「もともと推理小説とか好きだったからな。トリック物なんて、だいたい読んだしさ。こういう謎解きゲームみたいなのは昔から得意だったんだ」
と、政樹は言ったものの、彼が雪夜をかなり注意深く観察していたことや、雪夜がどんな性格であり、どんな人間性を持っていたのかを、政樹が理解していたから成せたのだろうという自負がありつつも、それは雪夜に対しての好意がそうさせたのだとは、毛恥ずかしくて、とてもこの場では言えなかった。
「そんな頃だったかな、お兄さんから連絡があって、思いがけない提案をされたのは」
佳澄は囁くように言った。
「なんスかね、提案って」と凡司が答えると「それが、N計画?・・・Nって、ノスタルジアのN?」と政樹。
深田光憲が家妻雪夜に接触後、雪夜の治療について協力的だったらしい。深田は雪夜に、この病院を紹介したようである。
南半球の大陸、オーストランドにある医療都市、ノスタルジア病院群。
病院と言っても規模が違う。様々な病症の合わせて、各カテゴリーごとに病棟が分けられており、広大な土地に大病院クラスの建物が数十棟も存在する。簡単に言えば医療都市がそこにはあるのだ。雪夜が言うように、まさに病院の理想郷なのである。しかし、徹底的な情報管理がされているため、患者に外部と通信手段は与えられない。この医療都市には、世界的名医と呼ばれる人たちが集結し、最新鋭の医療機器も揃っている。ただ、都会からは隔離されている辺境の地にあり、その病院に入院できる人間は、ごく一部に限られている。つまり、超富裕層といわれる人でなければ入れないような病院なのだ。そこでは不治の病とされる病魔でも根治できるとか。
自身の音楽の売り上げで、莫大な資産を手にしている家妻雪夜ならば、入院も不可能ではない。それに加え、外務省のアジア大洋州局に勤務している深田光憲ならば、入院の手配、手続きにしても、何らかの伝手があったと思っても不思議ではない。
「雪夜さんは、まさかこの病院に・・・」
政樹がここまで言いかけたとき、凡司の携帯電話の呼び鈴が鳴り、彼は素早く応答した。
「はい、はい。・・・え!?マジっスか!・・・分かりました!ありがとうございます!」
そう言って、早々に電話を切った凡司は、かなり興奮気味だった。
「宮ノ前のDNAの型と、家妻雪夜が転落した場所で採取された血液の、DNAの型が一致しました!」
「え!!・・・じゃあ、三年前にあのK病院から転落したのは、宮ノ前朱里!?」と、政樹はひっくり返したような声で叫んだ。
「間違いない、科捜研が断定したんだ・・・俺ら警察は、まんまとやられたってことだ!」
「いやしかし、転落した箇所のスロープの手すり。あそこには雪夜さんの指紋もしっかり残っていたわけだし・・・」
うろたえながら政樹は、凡司を凝視していた。
「これで、大体の全容は掴めてきたわ」
道内刑事はこう言うと、急に立ち上がった。
「家妻さんと宮ノ前朱里は、身長も体重も似たようなデータでした。そして、何よりも私が引っ掛かっていたのは、彼女らふたりとも血液型がA型だったということです。・・・治療に当たったK病院の医者も看護師も、顔が分からないような状況ゆえに、家妻さんだという先入観。死亡後のその遺体も、ごくわずかな人数しか、彼女の顔を見ていない。でも、こんなことをどうやって・・・?」
ここまで言うと、警部はあることを思い出したかのようにハッとした。
「ボンくん!急いで課長にこのことを伝えて!あと、深田光憲が出国していないかも調べてもらって!・・・私たちはすぐにオーストランドに飛ぶわよ!」と言うと同時に、上着の黒いジャケットを持って出口に向かった。「合点!!」と後輩刑事も、あとに続こうと立ち上がろうとしたが「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って!いきなりどうしたんだよ!どこに行くんだよ!俺も連れていってくれよ!」と政樹が、ふたりを制止するように膝立ちに身体を起こした。
「マサ、これからは時間との勝負になるかも知れない。ここは俺たちに任せて、お前は美咲ちゃんのところに戻れ。必ず連絡するから」
凡司がいつになく真剣な表情で言うものなので、政樹は少し面を食らった。しかし、ここはお前の出る幕ではないと言われた心持ちもあり、いささか不愉快な気持ちにもなった。しかし、ささくれ立った気分をなだめたのは佳澄の言葉だった。
「富岡さん、私たちはこれから家妻さんが無事かを確認しに行きます。家妻さんがノスタルジア病院のどこかに居ることは、ほぼ間違いないと思います。でも、元気でいる可能性は分かりません。なんせあれから三年も経っていますので。・・・しかし今回の件は、ありえない事件ですし、あってはならない事件でもあります。のちに警察の大失態とも言われるでしょう。・・・私たちに責任を取らせて下さい。もう少しだけ待っていただけませんか?」
紫色のレンズが入った金縁眼鏡から、佳澄警部の切れ長な瞳が、薄っすらと浮かんで見えた。政樹は妙にドキドキしていた。雪夜が生きている・・・かも知れないという事実に直面し、もう自分の気持ちをどこに向ければ良いのか判断できなくなっていた。そこに佳澄警部の言葉に、その神妙な眼差し。
「・・・はい。そうですよね・・・ハハ、自分で始めたことだったのに、もう自分の手ではどうにもできない・・・ここはもう、皆さんにお願いするほかないですよね・・・はぁ、自分って本当に情けない人間だなぁ」
政樹は、感極まったことを抑えきれずにいた。
「いや、マサが家妻雪夜の死に『ある種の違和感』をおぼえなければ、この事件は闇に埋もれたままだった。とんでもない事件を闇に葬るところだったんだよ。ありがとうな」
普段から無表情の佳澄は、一瞬だけ微笑んだように口元を緩め、こう言った凡司に同調するように、少しだけ頷いた。
「行きましょう」と佳澄警部が言うと、ふたりは個室から出た。
すると個室を出たドアの裏側の壁に、背中を貼り付けるようにして奥屋記者が立っていた。「シー」と奥屋紗知が人差し指を唇に当てた。佳澄と凡司は少し目配せをして、個室のドアを閉めた。三人は黙ったまま店内を出た。
「最後のほうしか盗み聞きできませんでしたが、なんとなくですが、大体の状況は分かりました」
「警察相手に盗みって言葉は、あまり褒められませんね」と警部。
「罪になります?・・・フフッ、私も行きますよ。これまでにない超絶、大スクープですもん!」
「あーあ。どうしますか先輩。この人、深田光憲にぶん殴られても効かない人っスから」と巡査。
「あくまでも別行動。私たちは奥屋さんとはまった関係はありません。これを念頭に置いてください。それに、いざという時は、ご自分の身はご自身で守ってくださいね」と釘を刺した。
政樹はというと、まだ個室の中におり、テーブルの上にへたり込んでいた。
テーブルに右腕を伸ばし、上腕に頭を任せながら、喜怒哀楽でもない、あの不思議な涙を流していた。
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