南十字星と初恋 23「深田少年」
- 2024.05.31
- 小説
・この話の主な登場人物
「深田 光憲(ふかだ こうけん)」三十八歳:外務省のアジア大洋州局に勤務
「三辻田 順(みつじだ じゅん)」五十四歳:警視庁の刑事課の課長、警視
「変だと思ったぜ。・・・完全隔離のノスタルジア病院群にいるはずの彩香から、どうしてメールが来るんだとな」
前回で明かした佳澄警部による深田へのトラップとはこうだった。宮ノ前朱里のパソコンに残されていた、深田光憲のメールアドレスを発見した佳澄警部は、サイバー班に要請して、木原彩香になりすましメールを送信させた。
「入れ違いで家妻雪夜が退院して帰国してしまった。近々、K病院に向かうと聞いた。・・・おおかたそんな内容だったろう?あれは俺たちがお前をおびき出すために作ったメールだ」
取調室で、深田光憲と机ひとつで向かい合っている三辻田刑事課長は、こう続けた。
「仮にK病院に家妻雪夜が現れた場合、お前さんはいったいどうするつもりだったんだ?」
深田は、貝のようにピタリと口を閉ざしている。
「しかしまぁ外務省勤務のエリートが、薬物の売買に売買春の斡旋、売春婦への恐喝、公文書偽造、偽造公文書行使。おまけに殺人容疑までとは、お前さん稀にみる大悪党だな」
三辻田はさらに続ける。
「深田光憲。・・・いったい人生のどこで脇道にそれちまったのか。これからじっくりと聞かせてもらうぞ」
ここからはこの事件後、週刊ターゲットの奥屋紗知記者が、拘置所で収監されている深田光憲に対して取材し、それに深田が応じて答えたものと、過去に彼と関わったことのある人物への取材をまとめたものの一部を紹介する。
深田光憲は元来からおぞましい人間だったのか。
幼少期を知る人物は、裕福な家庭ではあったが、わがままだとか気が荒いなどはなく、ごく普通の子供だったと語っている。
ではどうやって冷徹な人間になってしまったのか。そこには少年期と青年期に、きっかけになり得るだろう出来事があった。
以前の回で説明済みではあるが、深田光憲と家妻雪夜は異母兄妹であるということ。家妻雪夜の母は、未婚で彼女を産んでいるという説明も過去にしているが、つまり深田光憲の父と、家妻雪夜の母は、不倫関係にあったという事実があった。深田光憲は幼少期、父と母がそんなことで揉めている場面をなんべんも記憶していたという。
父親が母親を罵り、母親は泣いてわめく。普段は優しい母親なのに、気でも違ったかのような形相で「その女を殺してやる」などと泣き叫んでは、今度は父親の怒号が響き渡る。そうなると、使用人が慌ててやって来て、深田少年を自室へ連れて行くらしい。子供ながらよくは事情は分からなかったが、くだらないことで大人はよく喧嘩をするものだと、言いはしないが、心の中で両親へは辛辣な評価を持っていた。
元使用人の話では、深田は徐々にふさぎ込み、内々にとじこもるような性格になっていったらしい。
そんな性格になれば、当然学校で友達なんかできやしない。でも特別、寂しいとかグズグズ思うような陰鬱な性格でもなかった。
唯一の友達は、飼っていたセキセイインコだったらしい。
しかしただ飼っていただけではない。青色のオスと、緑色のメスをつがいで飼っており、飼育籠の中に自作の巣箱を備えて繫殖をさせていた。小さい巣穴の中を、片目をつぶって目を凝らし、暗がりの奥に、小さな楕円形の白い卵の肌を見つけたときの興奮は、気に入らないクラスメイトをジャングルジムで上からの顔面を蹴り、蹴落としたときの快感よりも上だった。
インコのひながかえると、巣箱からチイチイと鳴き声が聞こえだす。そのたびに、以前に犯した失敗を思い出す。最初、羽化の嬉しさ余って巣箱を開けて、生まれたてのひなを素手で触ってしまったことがあった。人間の匂いを付けられてしまったひなは親鳥は育てない。巣箱から落としてしまうのだ。それを知らなかった深田少年は、仕方がないので、小さな小箱にたくさんのティッシュペーパーは敷き詰め、使い捨てカイロを、箱の底に仕込んで温めたりして、落とされたひなに、お湯で溶いた粟玉を、専用のスポイトで与えたりしてみた。
数日後、朝に様子を見てみたら、羽もないピンク色だったひなは、濁ったようなピンク色になり、冷たくなって固まり動かなくなっていた。
それ以来、ある程度の羽が生え揃うまでは親鳥に育児を任せ、ころあいをみて取り出し、要領よく育てては、元気に大きくなると、クラスで欲しがっている女子生徒に譲ったりしていた。そんなときの深田少年は意気揚々として、普段は見せない得意満面な笑顔を作っていたという。見ようによれば、普段は一切笑わないので、笑ったときの歯を見せた表情は、まるで別人のような顔つきになるため、かえって不気味さすらあったらしい。
だが、セキセイインコなど、そうそうみんなが欲しがるとは限らない。そんなときは別の飼育籠を買ってもらって自分で育てた。親鳥の子供同士のオスメスで繫殖をさせ、家族を増やそうと深田少年は期待に胸を膨らませた。
しかし、近親交配の危険性を知らなかったゆえに、誕生してくるひなは、気性が荒かったり、狂ったような目をしてギーギーと鳴いたり、深田少年に襲い掛かったり、飼育籠のフレーム部分をいつまでも気違いのように噛み続けたりと、常軌を逸した行動をする個体が目立った。
そこからは可愛さや、愛おしさという感情は徐々に寸断されていった。特に黄色いインコの気性が凄まじく違っていて、深田少年も手をこまねいていたが、あるときその黄色いインコのくちばしが、飼育籠のフレームに指を添えた深田の指に嚙みついた。彼の柔らかい指先から、赤い血の球体がプルプルと湧き出した。
そのあとに我に返った深田少年の手には、握り潰された黄色い羽が散らかった、血肉のかたまりがあった。
椅子に座っている深田光憲は、大股開きでふんぞりかえっていた。
表情は変わらず、三辻田の目を厳しく睨んだままだ。
「お前さんを追っていた刑事・・・ああ知っているよな。お前さんが赤田満を使って消そうとしたんだったな。本来は、あいつらに取り調べをしてもらいたいところだったけどな、あいにく連中はオーストランドから帰国中だ。ちなみ赤田満も、家妻雪夜を狙っていた木原彩香も逮捕されたぞ。・・・もう一巻の終わりだな」
それを聞いた深田は、大きな鼻息をフーンと吹いてから目を閉じ、天井を見上げた。
「そういうことだ。ああそうだ、お前さんには週刊誌の女性記者への傷害容疑もあるな。・・・しかし富岡さんまでなぜ襲った?」
天井に向かって悪人面を上げたまま、深田は気怠そうに口を開いた。
「警察、週刊誌の記者。・・・それ以外にも俺らを嗅ぎまわっている奴がいるって彩香から聞いてな。あいつ元ミュージシャンだったよな。いつぞやに水雪から奴の写真を見せてもらった記憶があった。で、K病院で奴を見かけたとき、すぐに分かった。ピンときた。あいつだ、あいつが余計なことをおっぱじめた奴だってな」
「病院のような場所で、あんなことを起こせばどうなるか、そんなことも、もうお前さんには分からなくなっていたのか?・・・それに知っているぞ。お前らのバックに、C国のマフィアが付いていることもな」
天井を向いている深田の目付きが、険しいものに変わった。
「薬物の売買に関しての情報は乏しかったが、突破口を開いたのは宮ノ前朱里のパソコンだ。お前さん、木原彩香にマフィア経由から売人を通して手に入れた薬物を、別の闇組織に横流ししたろ?分け前を大きくしたかったんだろうな。しかし実は、木原はマフィアと直で繋がっていた。木原に脅されでもしたのか?つまりこれがトラブルの発端だな。そんな経緯が宮ノ前朱里のパソコンに記録が残されていたよ。まぁこっちで復元したものだけどな」
深田の表情は、険しいまま特別に変化はなかった。
「宮ノ前は保身から、足を洗おうとしたに違いない。そんな彼女の心情も、パソコンの日記に残されていたんだよ。警察に垂れ込むか、お前らと取引をするのか、その内容までもな」
深田の口は重たかったが、徐々に自分の置かれている状況が飲み込めてきているらしかった。
「家妻雪夜とお前さんは異母兄妹だってな。どこのタイミングで家妻雪夜とコンタクトを取ったかまでは知らんが、おおかた大ヒット曲を飛ばしまくっていた家妻雪夜の金目当てで、異母兄妹を理由に近付いたってところだろ。家妻雪夜にはもう肉親は居なかったからな。家妻雪夜からしても、異母兄が外務省に勤務しているとあっては、充分に信用に足りるわけだろうし、お前さんにとって最高のカモだったんだろうよ」
急に前の机に両肘を付き、顔面の前で合掌するようなポーズをとった深田は、今度はグッと両目を閉ざした。
「お前さんが一番歓喜したのは、家妻雪夜がカモならば、そのカモがとんでもない上等なネギをしょっていたことに気が付いた瞬間だ。・・・家妻雪夜は財産という最上級のネギをしょっていた。そこでお前さんと木原彩香は考えた。家妻雪夜を利用して、裏切り者の宮ノ前朱里を上手に始末する方法。そして家妻雪夜を社会的に存在を消す方法をな」
合掌している指の先端に深田の眉間があり、そこには深いシワが刻まれていた。
「それがここまでの一連の流れ、家妻雪夜には言っていない、真のノスタルジア計画だったわけだな」
そこまで聞くと、深田は貝のように閉じた口を開いた。
「・・・あんた、全部お見通しなような口ぶりだが、どうやってそこまで調べた?」
「はは、それっぽく話させてもらったが、これは俺が調べたわけじゃない。いまさっきからお前さんに言った話ってのは、うちの課にいる優秀な刑事から聞いたことを、そのまま話しているだけだ。ああ、さっき言ったオーストランドに行った刑事な。しかし実際のところ、その刑事がこの事件に関わり出したのはごく最近のことだけどな・・・」
「ずいぶんと優秀な刑事がいるもんなんだな」
「どうなんだろうな・・・俺からすりゃ良し悪しよ。・・・家妻雪夜の転落した事件を当初担当していたのは、この俺だからな」
深田はククッと、肩を揺らして笑った。
「・・・あんたみたいなボンクラ刑事なら、俺らも上手く騙せたってわけだ・・・クソが、クソ野郎にクソ女どもが・・・くだらねぇことに熱を出しやがって。余計なことをしやがって」
三辻田課長は、いわゆる刑事らしい刑事の格好をしている。妻からの誕生日プレゼントであるネクタイの首元を少し緩めた。そして空手四段である足を使って、深田が居座る机を蹴り上げた。
両肘を付いている深田の身体は机ごと持っていかれて、椅子から転がり落ちてしまった。三辻田以外に取調室内にいる他の捜査員も、その行動に驚き焦った。三辻田を制止しようか否かと、一瞬動きかけたが、その焦りは杞憂に終わった。
「ボンクラ刑事で悪かったな。あぁ、冗談じゃねぇぜ。あのときにまんまと、してやられたわけだからなぁ」
手錠をはめられたままで深田光憲は立ち上がり、ズボンの左側の太ももあたりを、パッパと嫌味っぽくはらった。
「さっきも言ったが、お前らのバックにはC国のマフィアが関係してることは明白だ。でなきゃオーストランドで拳銃やらタクシーを調達するなんざ不可能だもんな」
また深田光憲は大股開きで、ふんぞりかえって椅子にドカリと座った。表情はまた元通り、三辻田の目を厳しく睨んでいる。
「こっから先は刑事部含め、警視庁の総力を挙げて、C国のマフィアまで全部ぶっ潰してやる!・・・いいか、俺らをコケにしたこと、ブタ箱で嫌というほど後悔させてやる。・・・いや、お前は刑務所じゃなく、拘置所行きだろうがな!」
「上等だ。どうなるもこうなるも、初っ端から覚悟のうえよ。俺は別に後悔なんてしてねえし、使えるもんはすべて使い切る。人の命ですら使える命は俺のために使わせてもらうんだ。当然、俺の命だってなんだって、そこに人の価値なんざ、元から存在してねえんだからよ」
深田は幼少から勉強はできた。成績優秀で絵に描いたような優等生。一流国立大学も現役合格、大学在学中も常に成績はトップクラスを維持したまま卒業。エリート街道一直線で外務省に勤務することになった。
ではなぜ、なにが深田光憲に邪悪な感情を芽吹かせてしまったのだろうか。
次回は、その取材内容の一部を紹介する。
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