南十字星と初恋 27「出発のとき」
- 2024.05.31
- 小説
・この話の主な登場人物
「富岡 政樹(とみおか まさき)」二十五歳:美咲のいとこ、元ミュージシャン
「鳥海 美咲(とりうみ みさき)」十九歳:女優、政樹の従妹
「盾ノ内 凡司(たてのうち ぼんじ)」二十五歳:警視庁刑事、巡査、政樹の同級生
「奥屋 紗知(おくや さち)」二十六歳:週刊ターゲットの記者
「あ~あ、やっぱり行っちゃうんですよね~」
さっきからこの言葉を繰り返して連呼しているのは奥屋紗知だった。
「別に奥屋さんだって、取材とか言ってオーストランドだろうがどこだって行けるじゃないっスか!」
「分かってないなぁ盾ノ内さん・・・あのときは特例中の特例ですよ。だって千載一遇の超大スキャンダルだったわけですから、本来なんて海外出張なんて許されないんですよ?」
「でもあの記事を掲載してからの週刊ターゲットの売上げからすれば、海外出張費なんて安いもんでしょ?」
「あ、それ、まんま編集長に言ってもらえます?」
「しかし俺はやっぱり、奥屋さんがどうやってノスタルジア病院群に入れたのかが、気になって仕方ないんスよ!」
「だ、か、ら!それは企業秘密なんですって!・・・んもう警察はしつこいのなんのって」
「しつこいのは週刊誌の記者も同じじゃないですか?」
奥屋紗知と盾ノ内凡司の会話に、ようやく横槍を入れられたのは富岡政樹だった。
「それ言われちゃうとね!」
わざとらしく、すっとぼけた顔を作った奥屋紗知だったが、彼らがいま居る場所は国際空港の出発ロビーだった。
政樹はオーストランドに向かうところだった。生きていた家妻雪夜に会いに行く、もちろん、それが一番の目的ではあったが、深田光憲に負わされた怪我の後遺症の治療という理由もあった。それを強く勧めたのは盾ノ内凡司、そのひと以外はいない。
深田に襲撃され、入院中だった政樹を見舞いに訪れた際の、凡司とのやり取りはこうだった。
「っていうわけなんだ。・・・だから現在も昏睡状態らしい」
「そうか・・・雪夜さんが生きていたんだって気持ちと、生きていてくれていたっていう思いが複雑だけど、でもやっぱり死んでしまっていたのなら、本当に終わりだったから、いまは安心している気持ちのほうが強いよ」
「そうだな。で、その主治医のヴァルデマー先生って医者は、あとで調べたらノルウェー人の名医だって話だから、きっと治してくれると思うぜ」
「とりあえず、これで良かった。・・・ボン、本当にありがとうな!道内刑事にも、今度お礼を伝えないとな」
「よせよせ。俺たちは礼を言われたいから捜査していたわけじゃない。警察の落ち度があって、とんでもない事件になっちまった。でも時間はかかっちまったけど、なんとか挽回することができた。それはマサ、お前が調べたいって言って来たからじゃないか。お前が言い出さなければ、深田たちの悪事も、C国のマフィア壊滅にもたどり着けなかった」
ベッドで上半身だけ身体を起こしている政樹だが、深田光憲に負わされた胸の傷が少々痛むのか、会話のあいだも常に包帯の上から、右手で傷口あたりをさすっていた。
「その宮ノ前朱里?・・・その人の家族にとっては、残酷な結末になっちゃったんだよな?」
「ああ、外務省に勤務している自慢の娘が、まさかあんな犯罪に手を染めていたとは。それに良心の呵責の精算を許されずに、無惨に殺害されてしまったとか、おまけに他人の死の偽装の道具にされちまっていたんだから。・・・娘はどこかで生きていてくれているっていう、家族の希望が絶たれちまったわけだもんな」
「雪夜さんとはまったく逆の展開だから・・・家族はやりきれない気分だろう」
「そういや今度、家妻雪夜の死亡届の取り消し手続きに入るらしいぞ」
「できるのか、そんなこと・・・しかし周りが勝手にどんどん騒いで、当の雪夜さん本人はまだ日本に戻っていないわけだけど、こんな大騒ぎじゃ雪夜さんにとっては戻りにくい環境になっちゃってるよな」
「まぁ、こんなこと本来は有り得ない話だし・・・ほとぼりが冷めるまでって言っても、いったいいつになることやら」
政樹と凡司しかいなかった病室内は、いささか重たい空気がのしかかって来たところだったが、凡司は別に、こんな話を政樹とやりに来たわけではなかった。
「そういやマサ、左腕の感覚はどうなんだ?リハビリは順調なのか?」
「いや、あまり芳しくない」
「そうか・・・実はな、先輩が・・・道内警部が、その例のヴァルデマー医師に問い合わせてくれたんだ」
ここまで凡司が言うと、彼がなにを言い出すのか瞬時に推測してしまった政樹は即座に反応した。
「おいおい俺には無理だぞ、ノスタルジア病院は!あんな莫大な金なんか、俺には用意できるわけないんだから!」
「まあまあ人の話は最後まで聞いてからにしろ。そんなことは俺だって百も承知してるさ。いいか?ちゃんと聞け?」
凡司が言いたいことはこうだった。
ノスタルジア病院群、Gエリアにある第七病棟に入院している家妻雪夜の主治医ヴァルデマー医師は、病院群郊外にあるM病院にも、非常勤務医として稀に出向することもあるらしい。その病院にいる整形外科医のA医師が、かなり有能な医者のようで、ノスタルジア病院群からも幾度となくスカウトされているところだが、彼女A医師はM病院に恩義があり、その恩義に報いるにあたってM病院で注力している、義理堅い人間らしかった。
政樹のカルテはすでにヴァルデマー医師からA医師に渡されているらしい。A医師から、こちらで治療をしてみたらどうかと打診があり、政樹はオーストランドへ向かうことになったのだ。
「お、そろそろ時間じゃないか?」
「あ~あ、本当にしばらくお別れなんですね」
政樹の搭乗時刻が迫っており、彼らに別れの時間が訪れていた。
そんなタイミングで遠くから、なにやら聞き覚えのある声が、政樹の名を呼びながら近寄って来る気配がした。一同がキョロキョロを周囲を見回すと、人混みをかき分けながらやって来たのは鳥海美咲だった。
「マアちゃん!・・・良かった、なんとか間に合ったぁ!」
「美咲!お前、今日も目一杯仕事じゃなかったのか?」
「もちろんそうだけど、やっぱり見送りたいじゃない!」
美咲は両手を膝に置いて、肩で息を整えていた。それにしても一同が驚いたのは、美咲の格好だった。
「み、美咲ちゃん。いま撮影してるのって、その・・・昭和の戦時中かなんかの作品なのかい?」
こう凡司が問いかけると、美咲は「おっ、よく分かりましたね!」と、凡司を人差し指で指して、軽快に答えた。
「その格好を見れば分かるだろう。お前、衣装のまま外に出ちゃダメだろうよ」と政樹。
「あ?・・・あれれれ?」
美咲は映画の撮影中だったが、休憩時間に急いで出れば、政樹の見送りに間に合うかと企んでいた。
撮影中も気ばかりが焦って、監督の「はいカット!じゃ、一時間休憩ね!」の一声で、そのまま猛ダッシュで現場を飛び出してしまったらしい。空港に居る周りの人たちも、突然走って現れた昭和の格好をしている女性に驚いているのか、女優の鳥海美咲だと気が付いて驚いているのか、なかには彼女にスマートフォンをかざしている人もいたので、わざと凡司と紗知が美咲の両サイドに立って、カモフラージュするように彼女に死角を作った。
「別にそこまでして来る必要もないだろう?いまの時代、メールだってメッセージだってあるんだしさ」
「でもマアちゃんのところって、ネットが通じないところだって・・・」
「だから何べんも説明したろう・・・俺はノスタルジア病院の外に住むんだからさ、通院する病院だって、外側の病院なんだって。だからネットもメールも使えるの!お前はどんだけ、わからんちんなんだか・・・」
「わからんちんって!・・・だって分からないじゃない?これが今生の別れかも知れないんだしさ」
「おいおい、俺は左腕の治療に行くんだぞ?縁起でもないことを、あまり言うもんじゃあないよ」
凡司と紗知は、このふたりのやり取りを、横でクスクスと笑って見ていた。
「早く治して、さっさと日本に戻って来てよね。それで私のマネージャーに早々に復帰してよ。・・・あ、でもそのころには私、ハリウッドに住んでるかも知れないけどね~」
「はは、昭和の格好してなにを言ってんだか。でもそれならそれに越したことはないからな。・・・頑張れよ、応援してる」
こう言われた美咲は、啓礼のようなポーズをとったが、薄っすら目には涙が浮かんでいる風だった。
「さて、と。・・・じゃあ行って来ます!」
政樹はこう言って、三人に見送られながら手荷物検査場のほうへ向かって行った。
「ああっ!じゃ、すみません!私、早く戻らなきゃ!」
「おお、美咲ちゃんも身体に気を付けて頑張れよな!」
「なんか良いネタあったらヨロシクね~!」
昭和の格好をした美咲は、凡司と紗知に手を振りながら、再び人混みの中へ走って消えて行った。
凡司と紗知は、空港ロビーから駐車場へと歩き始めた。
「あ、そうそう。私、ずっと気になっていたことがあったんですけど」
「え?なんスか?」
「富岡さんって、高校時代からずっと家妻雪夜のことが好きだったんですよね?」
「最初はファンだったんだろうけど、なんせ同じ業界に入って、一緒に曲まで作っちまうんスから、親友ながらアッパレな奴っスよ!」
「富岡さんの気持ちは、今回の件でよく分かったんですけど、家妻雪夜は富岡さんのこと、実際どう思っていたんですかね。これまでの取材からだと、特別な感情っていうのは持っていなさそうな・・・っていうより、自身がアーティスト活動に没頭しちゃって、恋愛とかってしていなかったんじゃないかって気がするんですよね」
凡司は、紗知からのこの問いかけに返答できずにいたが、しばらくして口を開いた。
「深田光憲にマサが刺されたじゃないっスか。先輩が、どうして深田がマサの顔を知っていたのかを、ちょっと疑問に思っていたんスよ」
「確かに!私も不思議だったんです!」
「それで、うちの刑事課長が取り調べのときに深田が、家妻雪夜からマサの写真を見せてもらった記憶があるって言ったらしいんスよ」
「え?・・・富岡さんってスタジオミュージシャンだったから、あまり顔って出していなかったですよね?どこで家妻雪夜は富岡さんの写真なんて手に入れたんでしょうね」
「そこなんスよ!で、先輩がもしかしたら、と思う推測がポッと浮かんだらしかったんスけど・・・」
「あ!家妻雪夜も、もしかしたら富岡さんのこと・・・」
「おっ?奥屋さんによく分かりましたね!」
「ま、こういうのって女のほうが鋭いものなんですよ」
「・・・しかしそれはマサには言えなかったっス」
「どうして?」
「いや、もし家妻雪夜の意識が戻らないままだったり、家妻雪夜からしたら、マサはただの仕事仲間ってだけの存在だった場合、マサにはあまりに残酷じゃないっスか」
「そうなのかなぁ・・・」
「そうじゃないっスかね?」
「でも、道内さんは前者だったんですよね?あの道内佳澄警部ですら、そう推理したんですから。・・・家妻雪夜の気持ちって、それで間違いないんじゃないですか?」
「だとしたら、なんとか家妻雪夜には元気になってもらいたいところっスよねぇ」
この凡司の言葉からやや間をおいて、奥屋紗知は独り言のように呟いた。
「なんか良いなぁ・・・あのふたり」
「え?・・・どうなんスかねぇ、また取材に行ってみたらどうっスか?」
「じゃなくてさ・・・良いなぁ、あのふたり」
「??」
ふたりは賑わう国際空港の出発ロビーを歩いていた。歩きながら目に映る人々は、これから旅立つ者がほとんどであるが、旅立つ者が旅行者ならば、このあとに控えている旅程に心を躍らせている最中だろう。政樹のように移住する者も同様の心中だろうが、少し不安な気持ちも含まれていたりと、心境は人それぞれ様々だ。
では見送る者、残された者の心境はどうだろうか。
凡司と紗知も、このあとは彼らなりの日常生活に戻るわけだが、これまで日常に居た人物が、ポッカリと居なくなってしまうと、どうしても一抹の淋しさを拭えない場面に遭遇してしまう。それでも残された者の日常も続いていくのだから、段々とそれなりに慣れが生まれて来るもので、いつしか居なくなった人物が居ないのが普通の日常となるときが来る。
生と死も同様に、産まれ生きている者たちの日常の中で、死して世を去った者がひとり居たとしても、生きる者たちの日常は延々と続いていくのである。
凡司と紗知は、このあと特別な会話はせず、それぞれ空港をあとにした。
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