焦爛の芍薬 最終話 ~自白~
- 2025.01.14
- 小説

~~ 離郷 ~~
ちょうど一年前の、こんな秋のことだった。
この屋敷で誠司の日記帳を探し出し、真希は美由紀と多江と夜中まで色々と会話をした。
真希は最初は謎解きのような気持ちで半分いたが、美由紀と多江姉妹にとっては、真希が本来そんな浮ついた気持ちで帰郷するのではなく、普通に何事もなく当たり前のように、最近あった出来事だったり、懐かしい昔話をして楽しみたかったに違いない。
誠司の書斎で安楽椅子に座って中庭を眺めながら、真希はそんなことを思っていると、多江がダージリンの紅茶を持って来てくれた。
「このお屋敷とも真希ちゃんはこれでお別れなのね」
「私ここで育って来たので寂しく感じちゃうけれど、私では相続できても維持することができないから。おじいちゃんとおばあちゃんには申し訳ないけれど」
中庭の方を見る多江の横顔は、美由紀にそっくりで懐かしかった。
美由紀は今年の春、心不全であっけなく他界してしまった。
それに至って真希は、祖父母が遺したこの屋敷を手放すことになったのである。
「このお屋敷に来られなくなっちゃうなんて私も寂しいけど、せめてお姉さんの一周忌までは残しておきたかったわね」
「すみません、私の転勤が重ならなければ焦って手放す必要もなかったんだけど」
「いえいえ、こればかりはタイミングだからね。お姉さんも亡くなっちゃって、真希ちゃんは京都へ行ってしまうなんて、寂しくなるわぁ」
ふと見ると、少し多江の目が充血していて、真希の胸がチクリと痛んだ。
昨秋のあの日、真希は祖父の日記帳を屋敷に置いて帰った。
すべてが揃った日記帳を、その後に美由紀と多江が読んだのか分からない。
そして今その日記帳がどこにあるのか彼女は知らない。
初恵の手紙は、真希のあの秘密の小箱の中にしまったままである。
小箱は今日、例の秘密の場所から回収し、真希は持って帰ろうかと考えていた。
「さて、私もうそろそろ行こうかな」
門前で、真希と多江は軽く抱擁をしてから、彼女は屋敷をあとにした。
~~ 少女と芍薬 ~~
北鎌倉駅へ向かう道すがら、相変わらず女学生たちの愉快に弾んだはしゃぎ声や笑い声が、緑のトンネル内でこだましていた。
そんな女学園の脇を歩いていると、突然木々のこぼれ日が光の矢となって、一直線に真希の目に突き刺さってきた。
「あっ・・・」
真希の左耳を襲う強烈な耳鳴り。
耳鳴りと同時に右目だけが白くかすんでくる。
また見覚えのない少女が、かすみの中から姿を現してきた。
視点が定まらず、同時にさらに強い耳鳴りがして、一旦、目をグッと閉じた。
少しして、恐る恐る左目を薄く開くと、真っ白な視界の中に、髪が長く桜色の着物をまとったあの少女が楽しげに若草色の毬を追っていた。
両手で毬をすくった少女は、横目で真希の存在に気が付いた。
キョトンとした顔で真希を見ると、一転して狐目の愛らしい笑顔で彼女に微笑みかけてきた。
光のカーテンで焦点が定まらない真希は、必死にこぼれ日を手で遮るも、それ以上はその少女のハッキリとした姿や、輪郭さえ確認することが出来なかった。
真希はあまりの眩しさに、たまらずまた目を覆ってしまった。
徐々に耳鳴りが治まってきた。
また賑やかな少女たちの笑い声が、彼女の耳へ走り込んで来た。
薄目を開くと元通り、緑翠に彩られた清々しい世界が広がっていた。
「この少女って、初恵・・・さんなの?」
結局、祖父は真希に何を訴えたかったのか分からなかった。
限りなく純粋で、限りなく不純でもあった二人の物語。
もしや祖父ではなく、初恵の方が真希に何かを伝えたかったのだろうか。
今の彼女では、まだまだ理解できる域を出なかった。
緑のトンネル内でたたずむ真希の視線の先に、ひとつ季節はずれな桃色の芍薬が誇らしげに咲いている。
吸い寄せられるように近づいてみた。
よく見るとそれは、この季節に咲くただの寒牡丹であった。
~~ 自白 ~~
列車の座席に座って一息ついた真希は、急に初恵の手紙が読みたくなった。
正確に言えば初恵が書き込んだ肉筆の手紙に触れたくなった。
鍵を開けて小箱を開くと「真希ちゃんへ」と書かれた高級感の溢れる和紙で作られた、木の葉が入った鳥の子色の封筒が一番上にあった。
「?」
こんな封筒なんて入っていなかったはず。真希はそう思ったのと同時に、この文字は祖母のものだと理解していた。
どうしてこの小箱の中に美由紀の手紙が入っているのか。
小箱が置いてある秘密の場所をどうして知っている?
小箱を開ける鍵はどうしたの?
様々な疑問が一気に彼女の頭の中を引っかき回していた。
そう考えていたが、無意識に真希は祖母の手紙を開いていた。
彼女は手紙を読む前から、もう嫌な予感しかしていなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「真希ちゃんへ。
不思議でしょうね。この手紙が何故この箱の中に入っていたのか。それは今後の宿題にしてちょうだい。
そう、私は酷い女なのよ。でも、私だけではなく、人はみんな酷い性格を持ち合わせているの。あなたにもそんな部分がきっとあると思うわ。
そんな事より、ごめんなさい。
あの人の日記には、本当に正直な気持ちが書かれていた事に驚きました。
そう、日記や手紙って本来そういう物だったのよね。
だから私も、正直に書き残そうと決心できたの。
許せなかった。
これが正直な私の気持ち。
あの人も、あの娘も、本当に許せなかったの。
年末の慌ただしい最中、宗佑さんのお屋敷に入り込む事など簡単だったわ。
悔しかった。
なにが一番悔しかったって、あの娘に詰め寄った時の事ね。
私がどれだけの悔しさ、惨めさ、悲しさをあの娘にぶつけても、あの娘ときたら、まるで全てを悟ったかの様な、そう、弥勒菩薩に様に、私に慈悲を与えんとばかりな、憐れんでいる様な表情を浮かべていたの。
私はその後、気が付いた時には大きな火鉢をひっくり返していたわ。
細かく散った火の粉が、彼女を取り巻くように舞い上がった。
それでも彼女は一切動じなかったわ。
紅蓮の大蛇が彼女の足元から数本、着物の裾を伝って上半身へ這い上がっていった。
ほんの一瞬だけ、あの娘が炎を纏った一輪の華の様に見えたわ。
するととっさに彼女は奥にある本棚の方に走って、何かを、そう、何かを胸に抱いて、身を焦がす炎と共にその場に踞ったの・・・・・・・
グシャリと真希は祖母の手紙を握り潰した。
冷や汗が胸元からお腹にかけて一筋流れたのを感じた。
そして膝がガタガタと震え出した。
それを周囲の乗客に悟られぬよう、乱れた呼吸を何とか落ち着かせようとした。
列車の車輪が線路の連結部を叩く音が、まるで水の中で聞いているかのように波打った音に聞こえる。
貧血状態のように目の前の世界が深緑に覆われてきた。
今は、今は読むべきじゃない・・・と、自分に言い聞かせた。
そして真希は、声を押し殺し、喉元で唸るように慟哭した。
彼女の目に映る鎌倉観光の帰り客や、疲れ切った顔をしている仕事帰りの人でさえ、呑気な人間に見て取れて、今の真希にとっては羨ましい存在に思えた。
しかし、なんだろう。
恐ろしいのに、悲しいのに、虚しいのに、噓をつかれて、騙されて憎たらしいのに。
そんな陰鬱に襲われている真希は、どこか快感に似た興奮を感じてならなかった。
血がそうさせるのだろうか、下腹部がまた疼き出していた。
それを感じると真希は、今度は妙に納得した気分になって、新天地である京都に急に早く行きたくなって、たまらない心持ちになっていた。
ややあってから、真希は自身が座っている対面の男性が大きく広げている新聞に目が向いた。
その新聞の一面には「昨年のXX区の火災は放火殺人の疑い」という見出しが載っていた。
「・・・」
彼女は大きく息を吸った。
ゆっくりと息をはき出して、心の中でこう思った。
(やっぱりバレるもんなんだね。結局、私もおばあちゃんと同じってことじゃない。血は争えないってことかな)
そしてこうも思った。
(だって、どうしても許せなかった。彼が・・・あの人が妻子持ちだったなんてさ)
西条真希はこの一週間後、京都駅において殺人容疑で逮捕され、のちに放火殺人罪で起訴された。
おわり
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