往時の商店街

往時の商店街

 昨今ではスーパーマーケットやショッピングモールの展開で、買い物も効率的で便利になっている。
 最近めっきり減ってしまったが、ひと昔前では各町にそれぞれ商店街があって、肉屋に八百屋、金物屋から雑貨屋まで、個々に店舗が構えられていた。
 私が幼少期に住んでいた場所にも商店街はもちろんあったが、近所のお店となると、住宅地の中に色んなお店が点々とある、そんな佇まいだった。

 歩いて直ぐに肉屋があったが、それなりに値段が高かったのか、母は足を延ばして別街にある商店街の肉屋へ通っていた。ただ天気が悪かったり、買い損ねた物があると、その肉屋を利用していた気がする。
 今から思うに、近くの肉屋を利用しなかった理由は私にあったような、一部思い当たる節があるが、その話は最後にとっておこう。

 肉屋の先をちょっと行くと八百屋があった。
 今でもある町の八百屋と同じような構えだったが、生姜の香りが充満している八百屋だった。なぜか生姜の匂いが強かった。
 昔は「ザル勘定」が一般的だった。天井からザルを紐で垂らして、その中に小銭もお札も入っている。「奥さん、このジャガイモは肉じゃがに最高だよ!」とか「はい、お釣り三十万円!」なんて言って十円玉を三枚、ザルの中からつまみ出す。
 こんな会話は今でも残っているかも知れないが、ザル勘定をしている八百屋は少ないと思う。
 しかし昭和では当たり前の光景だったし、近ごろのスーパーの野菜コーナーでは生姜臭さが微塵も感じられないのが味気ない。

 話は少し逸れるが、幼少期に祖母から聞いた話によると、戦後の食糧難に子供四人を養っていた祖母は、お金がなく、まともな野菜が買えないと、八百屋に頼んで野菜クズをもらっていたらしい。
 店頭に陳列する前に剝いたキャベツの外側の葉だったり、傷んでいたり虫食いで売れない野菜をもらい、ぬか漬けにして一品おかずを増やしたり、みそ汁の具に使ってどうにか切り抜けていたそうだ。
 当時の八百屋なら判っていたのだろう。
 子供四人を抱えて苦労しているのは、時代的に見ても祖母だけではなかったはずである。

 小学校にあがると文房具屋のお世話になるケースも増えてくる。
 えんぴつにクレヨン、私のころはクレパスをよく使っていた。あの学習帳にもお世話になった・・・と自慢するほど勉強はしていなかったが、自由帳に落書きはたくさんした。
 文房具屋の匂いというのも本当に独特である。
 あの匂いは何なのか思い当たらないが、どこかで嗅いでも文房具屋の匂いだということは判る。
「匂い消しゴム」が出始めたころだったか、姉が買ってきたのを私に見せびらかしに来た。
 コーヒー牛乳の形をした小さな消しゴムだったが、香りが本物のコーヒー牛乳にそっくりだった。コーヒーの香しさ、ミルクの乳脂肪、砂糖の甘い香りまでも上手に再現されていた。
 あまりにも美味しそうな匂いだったので、私は思わず消しゴムをかじってしまった。味はゴムの味であった。消しゴムそのままの味だった。「ウェッ」と舌を出した瞬間に姉にぶん殴られたので、危うく舌を噛みそうになった。
 それから私はしばらく匂い消しゴムの虜になっていた。文房具屋へ行くと色んな種類の匂い消しゴムを嗅ぎまわっていた。はたから見たら変な子供だっただろう。これだという匂いに当たったときなんかは、フレーメン反応をしている猫みたいな顔になっていたかも知れない。
 カレーライスの匂い消しゴムもよく再現されていたが、匂いに粉っぽさがあって、どこかで嗅いだことのあるような不思議な気持ちになった。強いて言えば、学校給食のカレーの日、教室や廊下に漂ってくるあの匂いに近かった。
 一個の値段がいくらだったか記憶にないが、小学校低学年のお小遣いで捻出できる代物ではなかったので、よく姉の勉強机を物色しては、新作の匂いを嗅がせてもらっていた。

 香り玉というイチゴやメロンなど匂いがする、消しゴムでも飴玉でもない粒々が入った小瓶が流行っていた。
 オレンジなんかは甘酸っぱさもよく再現されていたので、瓶の口に、鼻をつけて嗅いでみると、ジュワッと両側の舌下腺から唾液が出てくるほどだった。
 普段は食べられない高値な果物などばかりだったので、こういった類で得らえれた臭覚への刺激は、未だに脳内に刻まれているものだ。
 こっそり姉の筆箱を開けると、雑多な匂いのオンパレードで、混ぜくりになった訳の判らない匂いも、妙に懐かしい。

 町の定食屋というのも、だいぶ見かけなくなってきたが、当時の我が家から少し足を延ばした隣町に「ハルナ」という定食屋があった。
 安い割にボリューム満点。おまけに美味いというトリプルクラウンな店だった。
 私の父は大柄な体格で、むかしからの大食いにつき、どこの店でも大盛りだった。
 とあるそば屋でも大盛りを頼み、いざ運ばれてきたそばを見て「え!?これで大盛り!?」とドデカい声を店内に轟かせ、お店の人や私たち家族全員に赤っ恥をかかせたこともあった。本人はなんの気まずさも見せることなく、眉間に縦ジワを作って、勢い良くそばをズバズバとすすっていた。
 そんな父が行ってもハルナの大盛りは満足させるものだった。
 さっきの祖母の話ではないが、ひもじい時代を生きて、生粋の貧乏性のまま大きくなった父は、タダで大盛りができれば必ず大盛りで頼む。もちろんハルナでもそうしていた。

 私はまだ幼いのでそんなに量は食べられない。なので私や姉が残した分まで父が平らげていた訳だが、私が食べられなかった理由は幼い胃袋だけではなかった。
 このハルナという定食屋、この手の店ではよくある夫婦で商っていたのだが、とにかく夫婦仲が悪い。
 いつも口げんかをしている。
 それも厨房の中でである。
 狭い店内なので我々のいる座席まで悪態が筒抜けなのである。
「・・・ってんだろ!バカ!」と男の声が吹っ掛けると・・・
「言われなくたって判ってんだよ!このノロマ!」とすかさず女の声が切り返す。
 こんな台詞はざらに飛び交っているし、たまに八つ当たりしているのか、食器だか何かがガチャンガチャンといっていた。
「チッ!」なんて舌打ちが聞こえると、私は肩が縮こまったし、食欲も減退した。

 店名がハルナだけに、夫婦のどちらの名前がハルナなのか、はたまた苗字がハルナだからなのか知りたくて耳をダンボにしていたこともあったが、罵詈雑言の浴びせ合いの中にヒントは見つからなかった。
 しかし今になって思い返してみると、あの罵詈雑言の浴びせ合いも、あの人らからすると「阿吽の呼吸」と呼べるものだったのかも知れない。
 ああやってリズムを取り合い、お互いの持ち場をそつなくこなすための、一種のコミュニケーション方法だったのではないか。
 いやいや、さすがにそんなことはないか、あまり話を美化するものではない。
 胃袋も肝っ玉もタフさが求められた店だったが、味とボリューム、安さは抜群のお店であったには違いない。

 最後に、母が近所の肉屋を利用しなかった別の理由だが、それは私の記憶の一部にある。
 まだ私が幼稚園児のころだったはず。
 肉屋のガラスケースの中には色々な肉が陳列されていたが、多種様々な中にある牛モツを見た私は「ねぇこのお肉って僕のオ○ン○ンみたいだね」と母に言ってしまった。
 別にウケを狙った訳でもないし、純粋に素直に見たまんまが口をついて出た訳で、周りにいた奥さんたちがクスクスした方が、むしろ私は不思議に思った。
 母に頭をバチンと叩かれたところで、私のこの記憶は閉じている。

 

 おわり