暗闇を突っ切る勇気

暗闇を突っ切る勇気

 冬のように寒さがこたえる季節に重宝する食べ物といえば鍋である。
 食卓にガスコンロを置き、そこで煮炊きをすれば部屋の中も身体も温まる。そうやって厳しい寒さに、ちょっとした楽しみを加えて冬を越してゆく。

 むかしの我が家ではガスでなく電気コンロだった。
 当時でもガスコンロはあったが、いまのようなカセットボンベではなく、台所の床面からニョキッと出ているガス栓からチューブで引っ張ってくるタイプが主流。
 しかしチューブを足で引っ掛けてしまい、ガス栓からチューブがすっぽ抜けて引火、火事になるとかニュースになり、ちょっと危なっかしい印象があった。
 うちの場合は安全性がどうとかではなく、ただ経済的理由で電気を使っていた気がする。電気コンロは、バネのような形の長い熱線が、蚊取り線香のような渦巻き状になっていて、白いセラミックに埋め込まれたものだった。
 電気コンロは電源を入れても直ぐに熱くならない。ジーン・・・という電気が痺れているような音がして、熱線が赤くなって発熱してくる構造だ。
 ちび助だった私は、コタツの入った食卓に座っていると、ちょうど目の高さに電気コンロがくる。
 真っ赤っかになった熱線が、白のセラミックをオレンジ色に染めていく。
 まるで囲炉裏の灰の中にある、ほんのりとした炭火を見ているような気分になる。

 我が家の鍋といえば水炊きだった。
 鶏ガラをグツグツと煮込んで出汁をとり、白菜に長ねぎ、椎茸やしめじ、えのき茸が入って、豆腐や、たまには鱈の白身も紛れていた。
 狭い四畳半の居間にコタツを囲って四人で鍋をつつく。
 なんとも心まで温まる情景だったに違いない。

 鍋の日は日曜日が多かった。
 父も休みで居るので、みんな揃っての夕飯となると、冬時期は鍋になることが多かった。
 むかし日曜日の夜の七時半からだったか、「すばらしい世界旅行」というドキュメンタリー番組がやっていた。
 番組の内容で濃い記憶といえば、どこかの原住民の下唇に、小皿くらいの大きさの円盤状の物がはまっており、首飾りはあったものの、褐色の胸をあらわにした女性が、お餅状の白くてベタベタしたものを大きな葉っぱに乗せ、細長い指で器用にコネてはつまんで口に運んでいる画だった。
 この番組は野生動物の狩りのシーンだったり、食事中には適さないものの描写が多かったが、なんといっても父のお気に入りの番組だったので文句を言える訳がなく、ナイターが無ければ毎週のように食事どきに流れていた。
 なので私は耳でテレビを聞いていた。
 そもそも子供の私がテレビを見ながらボーっとお椀を持っていようものなら、突然父の握りこぶしが食卓にドカンと落っこちて、「よそ見してメシ食ってんじゃねぇ!」と怒鳴られるからである。
 それでも久米明さんの名ナレーションは耳障りが良く、日曜日の夜を演出するには耳だけでも十分な内容だった。

 この番組、日立グループ社の提供で、番組の最後だったかタイミングは忘れてしまったが、あの「この木なんの木」のCMが流れるのである。
 寺内貫太郎でも知られる小林亜星さん作曲のこの名曲。
 これが流れると、ますます日曜日の夜という演出が強まっていく。
 サザエさん症候群ではないが、この曲を聞くと「明日から学校かぁ」となったりするのもあったが、振り返ってみると当時の情景が記憶の底からどんどん湧いてくる。
 いまでも鍋を食べるとき、えのき茸をポン酢にひたして口に入れると、フワッと鼻の先に香りが広がるのと同時に、炭火のような電気コンロの赤みだったり、久米明さんの声、小林亜星さんのあの名曲が、目の裏側や、耳の奥の方からじわじわとやってくる。
 一瞬だけ当時にタイムスリップしたかのような、おかしな感覚に陥ったりもする。

 食後、唐突に「ちょっとタバコ買ってきて」と父から言われた。
 温かな鍋と瓶ビールで良い気持ちになってる父が、ポケットからジャラジャラと小銭をあさって、ゴツゴツした働き者の手のひらで勘定をしている。
「あちゃ~、きたか」と私は思う。
 いまの時代では有り得ないのだが、当時はたまに夜でもタバコを買いに出された。
 夜は危ないから、女の母と姉という選択肢は最初からない。
 アパートから一番近いタバコの自販機は、直線距離で二百メートルほど。小学校一年生の足ではまあまあな距離である。
 ただし、その最短距離で行くには障害があるのだ。
 暗闇である。
 アパートを出て真っ直ぐに細い路地を行き、小さな蒸しタオル工場の脇を通り、広い駐車場を抜ければタバコの自販機にぶつかる。夜なので、真っ暗闇の中を行かねばならない。しかも真冬の夜である。そこを通らずに自販機へ行くには、住宅地を「コ」の字に迂回して行くことになるため、かなり大回りになる。

 父から小銭をもらい、寒いので上着を着ているときに、どのルートで行こうか迷った。
 玄関で靴を履いているときでもなかなか決心がつかない。
 アパートの前に出た。
 その晩はやけに風が強く、人の気配もない。
 細い路地には家が並んでいて、門灯は点々と見えはするが、暗闇の濃さのほうが断然に強かった。
 当然ながら日曜日の夜に蒸しタオル工場がやっているはずがない。
 目をこらしてもその先にある自販機どころか、駐車場ですら闇の中に飲み込まれていて、奥の方は何も見えてこない。
 前にお使いに出されたときは、この暗闇の恐怖に負けて大回りで行った。
 倍以上の時間はかかるが、まだ街灯があるのでいくぶん心強かった。
 だが途中につぶれたラーメン屋があって、店先のガラスケースに残されたチャーハンと餃子の薄汚れたサンプルが廃墟感を強めていてかなり不気味だった。
 古びた油の匂いも外まで漏れ出ていて、空気までも重く感じ、より一層、薄気味悪かった。数歩で通過できるのだが、帰りもそこを通ると思うとその不気味さが頭に引っ掛かり、ためらってしまう。
 つまり、どっちを通っても怖いのである。

 行きは遠回り、帰りは最短距離、その逆でももちろん良いのだが、こうなったら腹をくくって行くしかなかった。
 怖い思いをするのだったら短い時間の方が良い。単純にそう思った。
 一気に駆け出し、細い路地に工場の脇を過ぎ、二三段下りると砂利敷の駐車場である。
 後ろからお化けにでも追いかけられているような、首筋にざわざわと感じるものがあった。
 砂利の細かい石に靴裏が滑って足を取られたりしたが、バランスを崩しながらも両腕をばたつかせながら突っ走った。
 駐車場まで来れば自販機の光が見えてくる。
 私の心持ちは、灯台の明かりを目指す沈みかけた船のように寄る辺ないものだった。
「はちりんや」という名前だったか、現在のコンビニ的な商店の前にタバコの自販機がある。
 はちりんやには当時では珍しい焼き立てのパンも置いていた。
 ドラえもんの顔をしたパンがあって大好きだったが、サクランボを半分に切ったような果物が赤い鼻に使われていて、少し変わった甘酸っぱさがあり、鼻だけはどうしても味が馴染めなかった。

 握りしめていた細かい小銭は、私の手汗と体温の結露で少し湿っていた。
 一枚ずつ小銭を自販機に入れている途中に気が付いた。
 父に頼まれたタバコは「セブンスター」だったが、なんと売り切れていたのだ。
 しばし動きが止まってしまった。
 ここで私は考える。
 家に戻って父に品切れを伝えるか。
 そうなると別の銘柄のタバコを命じられ、再度買いに出されるかも知れない。
 はたまたさらに遠い自販機まで買いに行かされるか。
 さもなくば別の銘柄のタバコを買って、それで勘弁してもらうか。
 そんなこんなを考えている内に、時間切れで自販機から小銭が落ちてきてしまった。

 ふと見ると、「マイルドセブン」というタバコがあった。
 セブンスターもマイルドセブンも同じセブンじゃないか。
 金額も同じ二百円だし、これなら「勘違いして買ってしまった」で済ませられるじゃないか。
 セブンもマイルドもへったくれもないだろう。
 子供心にそう思った。

 マイルドセブンを買って、帰りも最短距離で暗闇を突っ走って行った。
 不思議なもので、目的を達成した後というのは自然と気持ちがしっかりと落ち着いている。
 駐車場の砂利道も、蒸しタオル工場も住宅地の暗闇も、夜目が効いているように足元がちゃんと見えている。
 あっという間にアパートの前だった。

 玄関を開けると部屋の中は眩し過ぎるくらい明るく、鍋の残り香がある空気も温かかった。
 壁に寄りかかり、すばらしい世界旅行を見ている父を目の当たりにしたとき、さっき自販機の前で威勢がよくなってマイルドセブンを買ってしまったことを後悔した。
 なんと言い訳をしようか、頭が真っ白になってしまった。
 おずおずと黙ってマイルドセブンを差し出すと、父は「サンキュー」と言って普通に受け取った。
「なんだこれ、違うじゃないか!」と、いつ怒鳴られるのか肩に力が入った。
 が、父は「はい、お駄賃」と言って私に百円玉をくれた。
 百円は、小学校一年生の私の一か月分のお小遣いである。

 なんだかよく判らない恐縮を背におぶって私は奥の六畳間へ入った。
 姉が勉強机で明日からの学校の準備だろうか、ランドセルをガサゴソとしている。
 上着を脱いだとき、四畳半から母の声がした。
「あらお父さん、それ違うタバコじゃないの?」
 私は、余計なことを言わないでよ!とギクッとして手を止めた。
 ライターの火をつけるジャリッという発火石の音が聞こえた。
「たまにはいいもんだよ」と父の声が聞こえる。
 テレビから、この木なんの木の歌が流れ出していた。
 なにかに救われたような気持ちになって、ホッと安堵したのを昨日のことのように覚えている。

 

 おわり