包まれているもの
- 2026.03.20
- エッセイ
道すがら、時おり小学生が団体でぞろぞろと歩いているのを見かけるときがある。
身体の大きさには不釣り合いな大きめのリュックサックを背負って、肩口から水筒をぶら下げて、えっちらおっちら歩いている。
遠巻きに見ても遠足なのだろうなと判る。
あのリュックサックの中には、それぞれのお母さん、お父さん、もしかしたらおじいちゃんやおばあちゃんの想いの詰まったお弁当だとか、おやつなどとはまた別に、無事に行って楽しんで元気に帰ってきてほしいという願いのようなものも詰まっているのかも知れない。
私も遠足の日といったら、朝から母がお弁当の準備をしているのを見るのが楽しみだった。今回はおにぎり系なのか、サンドイッチ系なのか、当時のバリエーションはそんなもんだった覚えがある。
ただ数日前には母から「遠足はおにぎりが良いの?サンドイッチが良いの?」と聞かれていた気がする。どちらの系統を選ぶかによって、おかずと水筒の中身が変わったりしていた。
おにぎり系の場合のおかずは甘めの玉子焼きだったり、甘酢がかかった肉団子だったりだが、サンドイッチ系の場合は唐揚げだったり、小さなハンバーグがメインだった気がする。そしてどちらにも、色んな種類のおかずやフルーツもそえられていた。
私はサンドイッチ系のほうが好きだったかも知れない。
具はもちろん母にお任せだったが、ツナやたまごも好きだが、ハムとチーズ、薄く切ったキュウリが入ったものが特に好きだった。マーガリンとからしマヨネーズが塗ってあって、あの少しだけくる辛味がアクセントで大好きだった。
サンドイッチ系だったときの水筒の中身は甘めの紅茶だった。
春夏は冷たく、秋冬は温かい。遠足先にいて飲むと、母が近くにいてくれているような気がして安心できる味だった。
小学校低学年の時分、いまのようにキャラ弁などシャレたお弁当などない時代だったので、他のクラスメイトも似たような感じのお弁当だった。
ただ、未だに印象に残っているクラスメイトのお弁当がある。
あれは、もはやお弁当と言ってよいのだろうか。小学校低学年の両手におさまる程度の大きさのもので、アルミ箔にくるまったおにぎりがひとつだけ、という子がいた。
初めて見たときは子供ながら驚いた。
「大きなおにぎりだね。具はなにが入っているの?」と私が聞くと、彼は「これだけなんだ。ただの塩むすびだよ」と私に食べかけの断面を見せてきた。
確かに具がひとつも無いどころか、付け合わせのおかずすら無い。
うちも決して裕福な部類に入る家庭ではなかったが、子供心に察するものがあって、私は自分のお弁当から唐揚げをひとつ、彼のアルミ箔の上に置いた。
彼はお弁当持ちのときは毎回これだけだった。
運動会のときでさえ、いつも大きめな塩むすびがひとつだけだった。
彼は特別、周りの子のお弁当を羨む素振りも見せず、小さな肩掛けバッグからアルミ箔にくるまったおにぎりをひとつ取り出して、遠くを見ながら黙々とパクパク食べていた。
次第に周りの子たちも彼にお弁当のおかずを少しずつ分けてあげるようになっていた。
授業参観のとき、その彼の母親を目にする機会がくる。
彼の母親は、肝っ玉母さんのように丸っこい身体だった。
細面の彼はツヨシくんと言ったが、ツヨシくんの母親は私にこう言った。
「こいつね、ツヨシって名前のくせに、しょっちゅう具合悪くなるもんだから、ヨワシなのよね。アハハハ!」
各家庭にはそれぞれ色んな事情がある。
子供同士でも、なかなか大っぴらには話さない。
私は幼いながらに、あの大きめな塩むすびの理由が判った気がした。
私は小学校三年生の終いで引越してしまったので、その後のツヨシくんのお弁当がどうだったのかは、そこで途切れてしまっている。
姉が遠足のときには格別なおこぼれがあった。
ただしそれは姉が母にサンドイッチ系を依頼したときのみである。
当時はサンドイッチ用のパンはなく、普通の食パンに具を挟んでからパンの耳を包丁で落とすのだ。いや、サンドイッチ専用のパンも売られていたかも知れないが、金銭面との折り合いもあったのだろう。
母はその落としたパンの耳を油で揚げて、砂糖をふりかけてラスクを作ってくれた。サクサクとして香ばしく、ときにジュワッと甘い油がしみ出してくる。
これが格別で、本当に美味しくて、夕方のおやつを楽しみにしながら学校から帰ってきたものである。
そう、姉は遠足で帰りが遅いので、パンの耳のラスクは私が独り占めできるのだ。
おやつの取り合いになる普段では経験できない独占欲が満たされる感じが、また一段と美味しく感じさせていたのだろう。
私が遠足のときは姉が独り占めしてご満悦だったのではと思いきや、姉に当時のことを聞いても、「え、そんなのあったかしら」という素っ気ない返答だから、幼心というのはそれぞれで判らないものである。
しかし、おにぎり系をリクエストした場合にはラスクはないので、姉がおにぎり系を選択したと知ると、私は朝から不機嫌になってしまうほど、あのラスクの美味しさは抜群だった。
職人系の仕事をしていた父のお弁当には強い憧れがあり、特に冬場に活躍していた保温タイプのお弁当箱は羨ましかった。
正確に伝えれば箱ではなく、ずん胴の筒型をしているものだった。
魔法瓶のような断熱構造になっていて、一番下にみそ汁、次にご飯、一番上にはおかずのケースが入る作りになっていた。
お昼ご飯の時間になっても冷たくなっておらず、みそ汁はアツアツのままだったらしい。暖房のない現場仕事ではありがたかっただろう。
いつかあれでお弁当を食べてみたいと幼心に本気で思っていたが、いま現在に至り、その憧れは未だに憧れのままである。
幼稚園のころ、冬場はストーブのそばにお弁当箱を置いて温めていた覚えがある。
お弁当箱はアルミ製で、確かヒーロー物のデザインだった気がする。
私は幼稚園は苦手で早く家に帰りたい派だったので、お弁当を食べるともう少しで家に帰れるんだという気持ちに一区切り打っていた。
印象的なおかずと言えば、前の日の晩ご飯で余った鶏肉の唐揚げを、甘辛く煮込んだものだった。肉質はさらに柔らかくなっていて、冷めていてもご飯に合ってジューシーで美味しかった。
実家の母に「またあれを作って欲しい」と頼んでみたが、母は「あれは前の日の唐揚げの余りを使うから普段は作れないのよ」という答えだった。
先日、姉一家が実家に泊まったらしいのだが、姪っ子がそれを食べて好評だったようで、あの味は世代を問わないらしい。
高校生にもなると毎日お弁当のお世話になっていた。
お弁当の、というよりも、母のお世話になっていたと言わないと無礼千万に当たるだろう。
その後の私の浮かない人生を振り返っても、三年間ビッチリ母のお弁当を食した期間はないし、半世紀生きた今後も食する機会はないと断言できる。
いま思えば、高校生の当時は毎日毎日当たり前のように「いってきます」の前に、テーブルから黙ってナフキンに包まれたお弁当箱を手に持っていっていたが、いまさらながら、それがどれだけありがたいものであったのか骨身にしみてくる。
たかがお弁当ではあるが、されどお弁当でもある。そこに母がどれだけの時間を割いてくれていたのかを想像すると、今すぐに実家へ行って母に頭を下げてお礼したいくらいだ。
どなたでもご経験があったかと思う。
「あんたお弁当箱、出してないじゃない!早く出しなさい!」と母にどやされる経験を。
毎日作っておいてもらいながら、こう言われると、ダリィな~などと思いながらカバンから弁当箱を取り出して、「はい」と不愛想に母へ渡す。
いま思えばクソ生意気にもほどがあり、そんなことで悪態をついていた当時の自分を張り倒しに行きたくなるくらいである。
ここまで記して、ふと頭をよぎった。
ツヨシくんのお弁当は、あのあとも大きめな塩むすびだけだったのだろうか。高校生になっても大きめな塩むすびだけだったのだろうか。まさか社会人になっても塩むすびだけなんてことはあるまい。
こんにちの昼休みには、たっぷりおかずの詰まった温かい愛妻弁当をほおばっている彼の姿があることを、切に祈る・・
おわり
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